松江市鹿島町の「古浦砂丘遺跡」は、砂浜から弥生時代の
埋葬人骨約60体が埋まっていた遺跡です。
60体の人骨は、当時の弥生人より手足が長いといった
身体的特徴から、朝鮮半島から来た渡来人
ではないかとされています。

つまりは、弥生時代より海上交通というものがあり、
朝鮮半島との交流があったということを示し
ています。

また古墳時代に近づくと、
近畿の土器が、鹿島町の遺跡(南講武草田遺跡)
より発見されており
松江市北部の地域が、海上交通の拠点だったのではないかと
想像されます。

その松江市北部に鎮座しているのが、この佐太神社(さだじんじゃ)です。
現在 南殿 修復工事中です。出雲大社、伊勢神宮の遷宮で
盛り上がりましたが、平成28年に正遷座祭があります。
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佐太神社は、本殿が3つという珍しい作りです。
正殿、北殿、南殿に、秘説四柱を含めて12柱が祀られています。

正中殿 佐太大神、伊弉諾尊、伊弉冉尊、速玉男命、事解男命の五柱。
北殿 天照大神及びニニギノミコト。
南殿 スサノオのミコト 秘説四柱の計五柱。この秘説というのが意味深です。

この出雲の国にあって、オオクニヌシノミコトのオの字もありません。
この佐太大神というのは、どういう神様なのでしょう。

杵築大神(オオクニヌシノミコト)というように、佐太は、地名を指します。
「伊予国の佐田岬、大隅半島の佐多岬等の地名にみられる岬の意味で
島根半島の一円の祖神であり」
「世に言う猿田毘古大神(さるたひこおおかみ)」です。
(佐太神社パンフレットより)

ただ、明治維新の神道再編の折には、神社側は猿田彦であることを拒絶しています。
佐太神社 wikipedia

猿田彦は、ニニギノミコトが地上に降りてくるのを導く役割の神様です。
「交通の神」と一般的に言われます。
もしかしたら、出雲王朝を滅ぼすヤマト王権を「導いた」
役割の神だったのではないかと想像してしまいました。

また この神社は 母神イザナミの陵墓である比婆山の神陵を
遷し祀ったイザナミの社として
八百万(やおよろず)の神々が、佐太神社に集まるとされ
「神在の社(かみありのやしろ)」とも云われています。

出雲大社に八百万の神々が集まり、出雲地方は
神在月になると云われていますが
出雲の国の東部では、そうではなくて
母神イザナミをしのび、
全国から神々が集まってくるのです。

佐太神社の裏の山(三笠山)を登っていくと
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山腹に「母儀人基社(はぎのひともとしゃ)」があります。
中世より、イザナミの神陵(御墓)を
遷し祀った神社と云い伝えられています。
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佐太神社から100メートル東へ離れた所に、北殿の摂社「田中神社」があります。
ニニギノミコトの天孫降臨神話に出てくるイワナガ姫・コノハナサクヤ姫
姉妹の神様です。背を向けて並んでいます。
ああいうことがあり仲良くはできるはずがありません。

~ニニギノミコトは、コノハナサクヤヒメに一目ぼれし
妹であるコノハナサクヤヒメと姉のイワナガヒメを嫁にします。
しかしながら、ニニギノミコトは、岩のようにゴツゴツとしたみにくい顔
を嫌って、姉を親元に返してしまいました。~

同じ境内に入れられなかったのは、国津神(高天原の神さんでない)だからなのでしょうか?
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by yuugurekaka | 2014-02-23 08:00 | イザナギ・イザナミ

標高約300mの山というので、ハイキングのつもりで軽く考えていました。
粉雪が降っていたので、長靴に履き替えて登りました。
木や竹が倒れていて2か所道がふさがれていました。
かなり急な山道です。くさりをつかんで登るところもありました。
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休み休み歩いて40分、やっと社祠峰頂上の鳥居が見えて来ました。ふうー。
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ここは、社詞峰の元拝殿跡です。御陵峰は昔、「禁足地」で、社祠峰から遥拝したと伝えられています。
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御陵峯 山頂付近には男竹に女性的な笹のついたここにしか繁殖していない「陰陽竹」が生えています。(島根県の天然記念物)
イザナミノミコトが出産のため登ったときに、竹杖をたてかけたものが根付いたと伝えられています。
説明の看板の後ろに生えていました。竹に詳しくないので、自信ありません。
これが本当に「陰陽竹」なんでしょうか?
 
島根県:比婆山のインヨウチク

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これが今の拝殿です。おそれおおく、個人のお願いごとではなく、日本の平和を祈願しました。

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おお!本殿の後ろに「伊邪那美大神御神陵」があります。

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本殿の後ろから見ました。今は円墳です。「今は」と書くのは、過去「前方後円墳」だったという説もあるとのことです。

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by yuugurekaka | 2014-02-03 23:32 | イザナギ・イザナミ

日本創造の母神 イザナミノミコトの墓(御陵)のある神社が
島根県安来市伯太町にあると知り参拝しました。安来市観光協会 比婆山久米神社
万物を生み出した神様の、「御墓」が実在するとは、とても混乱しそうな話です。
まあ 日本人の祖先の墓だと思えば、そう不思議な話でもないでしょう。

イザナミの御陵の伝承地というのは、全国にあります。

明治政府は、明治33年調査を行い、宮内省は松江市八雲村の神納山を最も有力として
陵墓参考地」に認定し 岩坂陵墓参考地
内務省は船通山(鳥取県日南町と島根県奥出雲町の境にある)の北にある御墓山を
「伊弉冉尊御陵流伝地」に指定していました。

「古事記」によりますと、「かれその神避りし伊邪那美の神は、出雲の国と伯伎の国
(伯耆の国)の堺、比婆の山に葬りき」とあります。比婆山というと、島根県安来市の
比婆山だけでなく広島県庄原市にも比婆山があり、両方共イザナミの御陵の伝承地で
す。本居宣長の『古事記伝』の記述からは出雲と伯耆の境に近い
島根県安来市の比婆山のほうが妥当性が高いと、考えられています。
Wiki 比婆山より)

「日本書紀」となるとまた、話が違い、紀伊の熊野の有馬村(三重県熊野市有馬の
花窟神社)に葬られたといいます。花窟神社

さて、この「比婆山」ですが、一説には「火場の山」で、たたら製鉄に関係があるとのことです。火の神を生んで亡くなったイザナミノミコトですが、鉄器の技術を朝鮮半島から運んできたとされるスサノオノミコトの母神です。そういう鉄器の伝来という流れで考えると、つながりが面白い気がします。

さて、前置きが長くなりました。
この比婆山というのは、一つの峰の山ではありません。
比婆山は、社祠峰、御陵峯、妙見峰の3つの峰で成り立っています。
イザナミの御陵があるのが、この御陵峰の山頂です。参道が3つあり
私は、久米神社 下之宮(里宮)がある「横屋参道」から登っていきました。

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社祠峰の麓にある 久米神社 下之宮です。
本殿が、なぜか出雲地方の「大社造り」ではなく、お伊勢さんと同じ「神明造り」でした。

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久米神社 下之宮の本殿
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by yuugurekaka | 2014-02-02 23:00 | イザナギ・イザナミ