出雲国造の祖先である天穂日命は、熊野大神から燧臼(ひきりうす)・燧杵(ひきりぎね)
という古代の発火器を受けたと言われます。神聖な火の発祥地でもある熊野大社は
「日本火出初社」(ひのもとひのでぞめのやしろ)とも言われています。

ここで古事記を振り返りますと−この熊野大社にまつられている
母神イザナミノミコトですが
火の神であるカグツチ(軻遇突智、迦具土神)を産んだために
陰部に火傷を負って亡くなります。
この同じ火をその息子である(厳密に言えば、夫であるイザナギノミコトの
禊ぎにより、アマテラス、ツキヨミ、スサノオの三神が生まれる)
スサノオノミコトが神聖な火として、伝授するのです。

現代でも、出雲大社の出雲国造は、代替わりになると
国造家に伝わる燧臼・燧杵を持って熊野大社におもむきます。
そして、熊野大社の鑚火殿(さんかでん)で、神火を切り出し
その火で調理した食事を食べることにより、新たな出雲国造となります。

熊野大社 鑚火殿(さんかでん)
e0354697_15051054.jpg


また、熊野大社で毎年10月15日に行われる鑚火祭(さんかさい)では
出雲大社の宮司が、「古伝新嘗祭」(こでんしんじょうさい)に使用する神聖な火を
おこすための燧臼・燧杵をもらいに訪れます。

出雲大社側は、長さ一メートルもある長方形の餅を持ってくるのですが
熊野大社側の下級神官が、この餅の出来栄えについて
「色が黒い」とか「去年より小さい。」とか難癖をつけるのです。
出雲大社側の神官は、ひたすら聞き手にまわり
熊野大社の神官がようやく餅を受け取り
燧臼・燧杵を渡すという神事があります。(亀太夫神事)

上記のような火継神事を考えると、古くから、熊野大社の方が
出雲大社より格が上だったと想像できます。
また、大和朝廷の解釈(出雲大社は国津神を祀っているので位が低い)とは別にして
イザナミースサノオを、出雲王朝の祖神として祀り、出雲大社よりも古くから
熊野大社の存在感があったのではないかと、私には思えてなりません。

ちなみに熊野大社の存在する八雲村の入り口に神納山がありますが、
母神イザナミの御墓ではないかと伝えられております。
e0354697_15051144.jpg


〇参考文献 「熊野大社」(熊野大社崇敬会 発行) 
熊野大社社務所で販売していました。




by yuugurekaka | 2014-01-25 08:55 | 熊野大社

『出雲國風土記』(733)に熊野大社、『延喜式神名帳』(927)に
熊野坐神社と記述されており杵築大社(出雲大社)と並ぶ、出雲の国の
大社です。
所在地は、松江市八雲町熊野2451で、松江駅よりバスで40分の距離
の所にあります。

中海に注ぐ意宇川(おうがわ)の氾濫によって造られた意宇平野(おうへ
いや)は、古代出雲文化の中心地と言われています。
奈良時代から平安時代にかけても、出雲国庁(昔の県庁)が置かれており
いました。大和朝廷の全国統一後、出雲国造(いずもこくそう)として
(その子孫が出雲大社の宮司)出雲地方を収めた一族も、この平野を拠点
として住んでいました。
出雲国造は、松江市東部(意宇平野)からわざわざ、車で1時間半かかる
出雲大社まで祭祀に通っていたことになります。

意宇川の源流に近い山あいに鎮座している熊野大社。
「厳」というか「凛」とした感じのする渋い神社です。
標高610メートルの天狗山の山頂近くには、神が降臨した
巨大な岩(磐座ーいわくら)がいくつか見られ、毎年5月に「元宮祭」が
行われています。この天狗山に祭られていた神をふもとに迎えて祭った
のが熊野大社です。

熊野大神は、「出雲風土記」(733年)の「意宇郡出雲神戸の条」
(おうぐんいずもかんべのじょう)というところに、「熊野大神は
伊弉諾(イザナギ)の愛しい子であるクマノカムロノミコト」と書かれて
います。つまりは、ヤマタノオロチ伝説で有名なスサノオノミコトの別名
であると書かれているのです。
ここから南西方面に上がったところに、スサノオノミコトが稲田姫と夫婦に
なったとされる須賀神社があります。

熊野大社 拝殿
e0354697_15050907.jpg


拝殿の向こうに本殿、向かって左側に「伊邪那美神社」
右側に「稲田神社」があります。
「延喜式」に収められている「出雲国造神賀詞」(いずもくにのみやつこかむよごと)
という文書によると、「熊野大神櫛御気野命」(くまののおおかみくしみけぬのみこと)
とあります。
「みけ」というのは、食物のことで、食物の生産を見守られる神でもあるとのことです。

「出雲一之宮」という「一之宮」というのは、平安初期
から中世にかけて行われていた「社格」の一種です。
「一之宮」は、出雲の国の場合、過去出雲大社ではなく熊野大社でした。
「日本三大実録」(901年)という書物にも
「熊野大神は従二位勲七等、杵築大神(出雲大社の大国主命)は
従二位勲八等」というように
大和朝廷においても熊野大社を第一位、出雲大社を第二位に取り扱っていたのでした。

それはなぜなのでしょう。
承和元年(834年)に成立した「令義解」(りょうのぎげ)
と言う法令の説明書によると「出雲国造がまつる熊野大神は
イザナギノミコトの愛しい御子であり皇室とのつながりのあるアマツカミ(天津神)
であるが、オオクニノカミ(大国主命)は国土を開いた神であっても皇室とは
つながりを持たないクニツカミ(国津神)である」と記されています。

〇参考文献 「熊野大社」(熊野大社崇敬会 発行) 
熊野大社社務所で販売していました。

熊野大社 本殿
e0354697_15051003.jpg


舞殿
e0354697_15051019.jpg



by yuugurekaka | 2014-01-24 00:48 | 熊野大社

昨日は、たくさん歩きました。良い運動になります。
出雲大社神楽殿の後ろの神社もお参りしました。観光客の方は、ほとんど知りません。私は、裏に天満宮があるのを知っていましたが、他の神社については、あまり知っていませんでした。

奥にある三社です。左から稲荷社、真ん中が 天夷鳥命社(祭神 二代目出雲国造)、天穂日命社(祭神 初代出雲国造、天照大神の第二子)です。ちなみに、今の出雲大社の宮司が、八十四代目です。
 
e0354697_15050868.jpg


稲荷社です。ここのキツネ様は寝ています。あまり寝ているキツネ様は見たことがありません。

e0354697_15050991.jpg

狛犬です。いわゆる獅子という感じではありません。ばくか、犬みたいな狛犬です。

e0354697_15050987.jpg


e0354697_15050969.jpg



by yuugurekaka | 2014-01-03 23:00 | 出雲大社

出雲大社に初詣

昨年、本殿の大遷宮が行われた出雲大社に、初詣に行きました。「平成の大遷宮」が行われたせいか、初詣の人出が多かったように思います。摂社・末社の改修工事は平成28年まで続けられるそうで、「素鵞社」(祭神スサノオノミコト)は、釜社を仮殿にしていました。
60年ぶりの出雲大社「平成の大遷宮」とは?

拝殿の前で、スマホで参拝の仕方を調べている20歳前後の女性が友達に「二拝四拍手一拝だって。」という声が聞こえました。今は、検索すれば、すぐ答えが出る便利な世の中になったものです。他の神社では、「二杯二拍手一拝」ですが
出雲大社では「二拝四拍手一拝」です。なぜそうなのか諸説ありよくわかりません。
今日は、特別に本殿の八足門が開放され、中の楼門前まで入ることができました。本殿の敷地内では、カメラ禁止でした。

出雲大社拝殿
e0354697_15050667.jpg


現在の本殿は1744年(延享元年)の建てられているが、中古には16丈(48m)、上古には32丈(およそ96m)であったと伝えられており、日本一の巨大建築物であったようです。なぜ作られたのでしょうか。
「古事記」(712年)によれば、大国主神は国譲りに応じる条件として「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」と述べて、造られたとのこと。そして、創建以来、天照大神の子の天穂日命を祖とする出雲国造家が祭祀を担って来られました。(ウィキペデイア 出雲大社より)
つまりは、出雲王朝を滅ぼしたヤマト王権に建てられ、ヤマト王権に祭祀を担われてきたことになります。古事記を読んだ限りでは、大国主命が幽閉されたように自分は感じます。

美しい、今でも大きな神社です。
出雲大社 本殿 東方向から
e0354697_15050708.jpg

出雲大社 本殿 北方向から
e0354697_15050786.jpg

出雲大社 本殿 北西の方から
e0354697_15050743.jpg

稲佐の浜と弁天島
古事記では、「伊那佐の小濱」として書かれており、国譲りの交渉の舞台となっています。 出雲大社から、歩いて15分のところにあります。
e0354697_15050883.jpg


by yuugurekaka | 2014-01-02 23:01 | 出雲大社

e0354697_15050593.jpg



あけまして おめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
皆様のご多幸をお祈りいたします。

さて、写真の八重垣神社ですが、年末にお参りしたものです。
帰省中ですので、近くの氏神さんではありません。
20年ぶりに、詳しく観ました。

松江市にある「夫婦和合」の神社であります。
「ご縁」の占い池もあり、女性に人気のスポットです。

観光の名所で有名だから
皆さん知っておられると思いますので、あれこれ書きたいことは
あるけれど書きません。

他の方のブログを見ましたが、書いてないこと書きます。
本殿の向かって左に「山神神社」が合祀されています。
行かれた方はわかると思いますが、
男根碑があり、たくさんの木の男根が奉納してあります。
何か子宝の神様かと、たいがいのかたは思われています。
20年前に、宮司さんにお尋ねしました。

あの山神さんは、元々は八重垣神社とは直接関係ない神様だそうです。
ニニギノミコトの日向・天孫降臨神話が、あります。
ニニギノミコトは、コノハナサクヤヒメに一目ぼれし
妹であるコノハナサクヤヒメと姉のイワナガヒメを嫁にします。
しかしながら、ニニギノミコトは、岩のようにゴツゴツとしたみにくい顔
を嫌って、姉を親元に返してしまいました。

イワナガヒメという姉の神様が、山神様であって、
なぐさめる意味で、奉納しているそうです。
えー、哀しい話ですね。

その奉納されたものですが、古い神社で、たまに見ますが、
国家神道の再編の時、政府に処分させられたと、
他の神社の宮司さんにお聞きしました。

入口の夫婦椿
資生堂のシンボルである花椿は、出雲椿であるようです。

“東京銀座は、徳川幕府が慶長8年から海岸埋め立て造成したまち
である。松江藩が、今の銀座七丁目から八丁目付近を普請けしたことか
ら、その地は出雲町と名付けら、通りは出雲通りと呼ばれていた。
明治5(1915)年その地に花椿を商標とした化粧品会社が創業された。
その椿の商標は、松江の八重垣神社の玉椿をモチーフにしたといわれ、
出雲通りには出雲椿の街路樹があったことから、近年は旧出雲町界隈
の通りが「花椿通り」と呼ばれるようになっていた。”
抜粋~「神々の国の首都」松江における緑豊かな文化的景観の継承 林 秀 樹 より~

e0354697_15050637.jpg


占いで有名な鏡の池
e0354697_15050605.jpg


by yuugurekaka | 2014-01-01 00:01 | スサノオノミコトと稲田姫