出雲国造の祖先である天穂日命は、熊野大神から燧臼(ひきりうす)・燧杵(ひきりぎね)
という古代の発火器を受けたと言われます。神聖な火の発祥地でもある熊野大社は
「日本火出初社」(ひのもとひのでぞめのやしろ)とも言われています。

ここで古事記を振り返りますと−この熊野大社にまつられている
母神イザナミノミコトですが
火の神であるカグツチ(軻遇突智、迦具土神)を産んだために
陰部に火傷を負って亡くなります。
この同じ火をその息子である(厳密に言えば、夫であるイザナギノミコトの
禊ぎにより、アマテラス、ツキヨミ、スサノオの三神が生まれる)
スサノオノミコトが神聖な火として、伝授するのです。

現代でも、出雲大社の出雲国造は、代替わりになると
国造家に伝わる燧臼・燧杵を持って熊野大社におもむきます。
そして、熊野大社の鑚火殿(さんかでん)で、神火を切り出し
その火で調理した食事を食べることにより、新たな出雲国造となります。

熊野大社 鑚火殿(さんかでん)
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また、熊野大社で毎年10月15日に行われる鑚火祭(さんかさい)では
出雲大社の宮司が、「古伝新嘗祭」(こでんしんじょうさい)に使用する神聖な火を
おこすための燧臼・燧杵をもらいに訪れます。

出雲大社側は、長さ一メートルもある長方形の餅を持ってくるのですが
熊野大社側の下級神官が、この餅の出来栄えについて
「色が黒い」とか「去年より小さい。」とか難癖をつけるのです。
出雲大社側の神官は、ひたすら聞き手にまわり
熊野大社の神官がようやく餅を受け取り
燧臼・燧杵を渡すという神事があります。(亀太夫神事)

上記のような火継神事を考えると、古くから、熊野大社の方が
出雲大社より格が上だったと想像できます。
また、大和朝廷の解釈(出雲大社は国津神を祀っているので位が低い)とは別にして
イザナミースサノオを、出雲王朝の祖神として祀り、出雲大社よりも古くから
熊野大社の存在感があったのではないかと、私には思えてなりません。

ちなみに熊野大社の存在する八雲村の入り口に神納山がありますが、
母神イザナミの御墓ではないかと伝えられております。
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〇参考文献 「熊野大社」(熊野大社崇敬会 発行) 
熊野大社社務所で販売していました。




by yuugurekaka | 2014-01-25 08:55 | 熊野大社

『出雲國風土記』(733)に熊野大社、『延喜式神名帳』(927)に
熊野坐神社と記述されており杵築大社(出雲大社)と並ぶ、出雲の国の
大社です。
所在地は、松江市八雲町熊野2451で、松江駅よりバスで40分の距離
の所にあります。

中海に注ぐ意宇川(おうがわ)の氾濫によって造られた意宇平野(おうへ
いや)は、古代出雲文化の中心地と言われています。
奈良時代から平安時代にかけても、出雲国庁(昔の県庁)が置かれており
いました。大和朝廷の全国統一後、出雲国造(いずもこくそう)として
(その子孫が出雲大社の宮司)出雲地方を収めた一族も、この平野を拠点
として住んでいました。
出雲国造は、松江市東部(意宇平野)からわざわざ、車で1時間半かかる
出雲大社まで祭祀に通っていたことになります。

意宇川の源流に近い山あいに鎮座している熊野大社。
「厳」というか「凛」とした感じのする渋い神社です。
標高610メートルの天狗山の山頂近くには、神が降臨した
巨大な岩(磐座ーいわくら)がいくつか見られ、毎年5月に「元宮祭」が
行われています。この天狗山に祭られていた神をふもとに迎えて祭った
のが熊野大社です。

熊野大神は、「出雲風土記」(733年)の「意宇郡出雲神戸の条」
(おうぐんいずもかんべのじょう)というところに、「熊野大神は
伊弉諾(イザナギ)の愛しい子であるクマノカムロノミコト」と書かれて
います。つまりは、ヤマタノオロチ伝説で有名なスサノオノミコトの別名
であると書かれているのです。
ここから南西方面に上がったところに、スサノオノミコトが稲田姫と夫婦に
なったとされる須賀神社があります。

熊野大社 拝殿
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拝殿の向こうに本殿、向かって左側に「伊邪那美神社」
右側に「稲田神社」があります。
「延喜式」に収められている「出雲国造神賀詞」(いずもくにのみやつこかむよごと)
という文書によると、「熊野大神櫛御気野命」(くまののおおかみくしみけぬのみこと)
とあります。
「みけ」というのは、食物のことで、食物の生産を見守られる神でもあるとのことです。

「出雲一之宮」という「一之宮」というのは、平安初期
から中世にかけて行われていた「社格」の一種です。
「一之宮」は、出雲の国の場合、過去出雲大社ではなく熊野大社でした。
「日本三大実録」(901年)という書物にも
「熊野大神は従二位勲七等、杵築大神(出雲大社の大国主命)は
従二位勲八等」というように
大和朝廷においても熊野大社を第一位、出雲大社を第二位に取り扱っていたのでした。

それはなぜなのでしょう。
承和元年(834年)に成立した「令義解」(りょうのぎげ)
と言う法令の説明書によると「出雲国造がまつる熊野大神は
イザナギノミコトの愛しい御子であり皇室とのつながりのあるアマツカミ(天津神)
であるが、オオクニノカミ(大国主命)は国土を開いた神であっても皇室とは
つながりを持たないクニツカミ(国津神)である」と記されています。

〇参考文献 「熊野大社」(熊野大社崇敬会 発行) 
熊野大社社務所で販売していました。

熊野大社 本殿
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舞殿
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by yuugurekaka | 2014-01-24 00:48 | 熊野大社