出雲井社  後方より写す。
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私は 「猿田彦命」に対して 長い間良いイメージを
持っていませんでした。

それは、古事記や日本書紀で描かれる猿田彦命は、
同じ出雲の神様でありながら、
国譲りという決着後、 天孫族の神様の先導役を担っているからです。

“だから、経津主神は、岐神を先導役として、方々をめぐり歩き
 平定した。従わないものがあると切り殺した。帰順する者には
 褒美を与えた。この時に帰順した首長は、大物主神と事代主神
 である。”   日本書記 一書(第二) 宇治谷猛 訳より

しかしながら、岐神が出雲神族の祖神となれば、
だいぶ意味合いが変わってきます。
反抗する首長を黙らせるには、祖神の御旗が効果絶大です。
もしや、古代から、日本人はこういう性格をもっていたのでは。
出雲からヤマト王権にいかに血ができるだけ流れぬよう
平和的に国譲りをするために
岐神(くなどのかみ)の役割があったのではないのかと
想像しました。

『古事記』でも、黄泉比良坂のイザナギの禊の場面で、
最初に投げた杖から衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)が生まれています。
これが、古事記に描かれる岐の神です。
そして、峠や道が分岐するところに鎮座して
疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを防ぐとされる神とされています。

岐神  松江市東出雲町 黄泉比良坂 
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さて、出雲井社がなぜ ここに在るのか 想像しました。
島根半島の北山山系をはさんで、
出雲井社のちょうど逆の場所が、猪目海岸です。
ここは、猪目洞窟があり、古代から黄泉の国の入り口があると云われる
ところです。
出雲風土記(733年)には、松江市東出雲町の黄泉比良坂ではなく
ここのことが述べられているのです。
そこには、縄文式土器や弥生時代から古墳時代にかけての人骨が十数体出たそうです。
文化遺産オンライン 猪目洞窟遺物包含層

この猪目海岸もそうですが、
出雲地方の日本海沿岸部は、古代、朝鮮や中国からの渡来人が
流入してきたと考えられます。
スサノオノミコトも朝鮮半島から渡来した神だと云われており
近頃有名な韓竈神社(からかまじんじゃ)も猪目海岸の近くに
あります。
そういえば、ヤマタノオロチ伝説も
スサノオノミコトVS出雲神族(大国主命の祖先)の戦い
との説もあります。
つまりは、渡来神と土着神との戦いです。


渡来人は、高度な文化を持ち込むなどの良い面と
渡来人に支配されたりするかもしれないなどの悪い面が 当然あります。
そういう善悪両面ある渡来人の関所というか
空港の検閲みたいなところが 出雲井社の役割としてあったのかな
などという突飛な考えが浮かびました。

縄文時代は、出雲大社のあるところは、島でした。
弥生時代は、出雲市内が隆起しつつも、まだ湿地帯のようなところでは
なかったでしょうか。

弥生時代の出雲国の中心地が、出雲市斐川町のところであったろう
と思えば、島根半島の南側(出雲大社などがある方)で
渡来人の流入を一度止めて置く場所だったのかと…

もしかして、島根半島の東部の佐太神社(祭神 猿田彦)も同じ役割だったかな
などと さらに想像を広げました。斐川町の方から佐太神社は
北東にあたるので 鬼門を封ずるという意味あいがあるのでは
ないかと。

全くもって 特異な考えを思いつくものです。
インターネットでそういう説がないか調べましたが
どうもないようです。



by yuugurekaka | 2014-11-02 22:16 | 出雲大社

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出雲大社から、国道431線を東に車を走らせ約10分。
「みせん広場」という駐車場に車を止め、歩いて10分のところに
弥山の麓にこの小さな社があります。
春先に参拝すれば、桜が満開で さぞ美しかったろうと
思います。

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 この神社の説明版にこのように書かれていました。

 出雲大社摂社
  出雲井社いずもいのやしろ (出雲路社 いずもぢのやしろ)
  御祭神 岐の神(くなどのかみ)

 勇武にして地理に明るく、
 大国主神が“国譲り”の際、
 大神の命により経津主神(ふつぬしのかみ)に
 付き添い諸国を平定し
 国土を統一せられた巧神です。


国譲りの後、天津神を連れて 回った神様は
日本書紀では 猿田彦命です。
あと、天孫降臨神話では、ニニギノミコトの道案内をした神としても出てきます。

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この岐の神ですがウィキペディアではどうなっているかというと
「巷の神(ちまたのかみ)または辻の神(つじのかみ)とは、日本の民間信仰において、疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを防ぐとされる神である。道祖神、塞の神(さえのかみ)とも」→Wikipedia 岐の神
交通の神、道祖神、賽の神… サルタヒコと同神ということになっています。

しかし、多くのブログでは、
『謎の出雲帝国』(吉田大洋氏著、
1980年、徳間書店刊)からの引用で
出雲神族の祖神として この岐神(くなどのかみ)が
クナト大神と されているようです。

また、民俗学者の谷戸貞彦氏によれば (「幸の神と竜: 古代が分る鍵」より)
主神を「久那斗の大神」妻神を「幸姫の命(さいひめのみこと)」で
息子神を「サルタ彦大神」ということであり
双体道祖神は、現在 猿田彦命とアメノウズメノミコトの夫婦神と
されていますが、そうではなくて元は
「久那斗の大神」「幸姫の命」の夫婦神と述べられていました。


by yuugurekaka | 2014-11-01 15:33 | 出雲大社

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出雲大社の境内から北島国造館へ出て、東へ約200メートルの所に
命主社(いのちのぬしのやしろ)があります。小さな社です。
左手に鉄棒とか 子供の遊び場がありました。

祭神は、神産霊神(カミムスビノカミ)です。
以下 wikipediaより引用→カミムスビ Wikipedia
“カミムスビ(カミムスヒ、カムムスビ)は、日本神話の神。
『古事記』では神産巣日神、『日本書紀』では神皇産霊尊、
『出雲国風土記』では神魂命と書かれる。
天地開闢(てんちかいびゃく)の時、天御中主神・高皇産霊神の次に高天原に
出現し、造化の三神の一とされる。”

この世界が始まった時から 存在する「造化の三神」の一つであるのに
このような小さな社で良いのか 素朴に疑問を感じます。

大国主命が、異母兄弟に殺された時、蘇させるために尽力する神でもあり
大国主命が、共に国造りする神、少彦名神の親でもあります。
高天原の神とはなっていますが、出雲の神様をサポートする天神です。
出雲風土記に至っては、出雲の国の祖神のように書かれています。
天津神=大和 国津神=出雲 という構図だけで考えると
頭が混乱してきます。

出雲にも大和とは別に天神がいるという風に理解した方が、話がわかりやすい
と思います。

出雲風土記 楯縫郡の条で
「楯縫と名づけるわけは、神魂命がおっしゃられたことには、
『わたしの十分に足り整っている天日栖宮の縦横の規模が
千尋もある長い栲縄を使い…所造天下大神の住む宮を
造ってさしあげなさい。』とおっしゃられて、
御子の天御鳥命を楯部として天から下しなさった。」
(「解説 出雲風土記 」 島根県古代文化センター編 より引用)

※ 天日栖宮(あめのひすみのみや)…出雲大社のこと
※ 所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)…風土記では
  大国主命のことを言います。

※ 天御鳥命(あめのみとりのみこと)…アメノホヒの子
  アメノヒナトリと同一視する説もあるらしいです。

ここの神魂命を、出雲国造の祖神 アメノホヒと読み替えても
つじつまが合います。
勝手な想像ですが、松江市大庭町の神魂神社の神魂とは
出雲風土記のうえでのカミムスビー神魂命だったのでは
ないか、などと思ってしまいます。

命主社境内に生えている樹齢1000年とも云われる
ムクノキのこの根っこにまず 圧倒されます。

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命主社の後ろに真名井遺跡?と思われる祠。
私が行ったときには、表示板が抜き取られていました。
木にわらのへびが巻き付いています。荒神さんなのでしょうか。
ここの遺跡から、弥生時代の銅戈と硬玉(ヒスイ)勾玉が発見されています。

銅戈は北部九州から、ヒスイ製の勾玉は北陸地方からのものと考えられており、
弥生時代から、出雲大社の場所が重要な祭祀の場所だったということらしいです。


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by yuugurekaka | 2014-08-02 10:33 | 出雲大社

昨日は、たくさん歩きました。良い運動になります。
出雲大社神楽殿の後ろの神社もお参りしました。観光客の方は、ほとんど知りません。私は、裏に天満宮があるのを知っていましたが、他の神社については、あまり知っていませんでした。

奥にある三社です。左から稲荷社、真ん中が 天夷鳥命社(祭神 二代目出雲国造)、天穂日命社(祭神 初代出雲国造、天照大神の第二子)です。ちなみに、今の出雲大社の宮司が、八十四代目です。
 
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稲荷社です。ここのキツネ様は寝ています。あまり寝ているキツネ様は見たことがありません。

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狛犬です。いわゆる獅子という感じではありません。ばくか、犬みたいな狛犬です。

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by yuugurekaka | 2014-01-03 23:00 | 出雲大社

出雲大社に初詣

昨年、本殿の大遷宮が行われた出雲大社に、初詣に行きました。「平成の大遷宮」が行われたせいか、初詣の人出が多かったように思います。摂社・末社の改修工事は平成28年まで続けられるそうで、「素鵞社」(祭神スサノオノミコト)は、釜社を仮殿にしていました。
60年ぶりの出雲大社「平成の大遷宮」とは?

拝殿の前で、スマホで参拝の仕方を調べている20歳前後の女性が友達に「二拝四拍手一拝だって。」という声が聞こえました。今は、検索すれば、すぐ答えが出る便利な世の中になったものです。他の神社では、「二杯二拍手一拝」ですが
出雲大社では「二拝四拍手一拝」です。なぜそうなのか諸説ありよくわかりません。
今日は、特別に本殿の八足門が開放され、中の楼門前まで入ることができました。本殿の敷地内では、カメラ禁止でした。

出雲大社拝殿
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現在の本殿は1744年(延享元年)の建てられているが、中古には16丈(48m)、上古には32丈(およそ96m)であったと伝えられており、日本一の巨大建築物であったようです。なぜ作られたのでしょうか。
「古事記」(712年)によれば、大国主神は国譲りに応じる条件として「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」と述べて、造られたとのこと。そして、創建以来、天照大神の子の天穂日命を祖とする出雲国造家が祭祀を担って来られました。(ウィキペデイア 出雲大社より)
つまりは、出雲王朝を滅ぼしたヤマト王権に建てられ、ヤマト王権に祭祀を担われてきたことになります。古事記を読んだ限りでは、大国主命が幽閉されたように自分は感じます。

美しい、今でも大きな神社です。
出雲大社 本殿 東方向から
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出雲大社 本殿 北方向から
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出雲大社 本殿 北西の方から
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稲佐の浜と弁天島
古事記では、「伊那佐の小濱」として書かれており、国譲りの交渉の舞台となっています。 出雲大社から、歩いて15分のところにあります。
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by yuugurekaka | 2014-01-02 23:01 | 出雲大社