■ オオナムチと火明命は、親子!?

播磨風土記や丹後風土記に、オオナムチと火明命の伝承が載っていました。
スサノオ一族は、どうやら、東に移動し、出雲王族の許可を得て、丹波の国を治めるようになったらしい。
播磨風土記を見る限り、火明命はかなり乱暴者の様子で、高天原でのスサノオの狼藉ぶりとイメージがだぶります。

播磨風土記
“ 飾磨(しかま)の郡(こおり)
 伊和の里。
 ―前略―
 昔、大汝命(おおなむちのみこと)の子である火明命は心もおこないも頑なで恐ろしかった。こういうわけで、父
 神が悩んで、逃げ捨てようと思われた。。因達(いだて)の神山に到ってその子に水を汲みに行かせ、戻ってくる
 前に船で出発して逃げ去られた。さて火明命が水 を汲んで戻ってきて、船が出発されて去る様子を発見された。
 するとにわかに火明命は大いにお怒りになった。そこで風波を起こし、その船を追い攻められた。ここに、父神の
 船は進み行くことができなくて、ついに破られた。

 そんなわけで、そこは波丘、琴が落ちた所は琴神の丘と名づけ、箱が落ちた所は箱丘と名づけ、𣗄匣(くしげ)が
 落ちた所は匣丘(くしげおか)と名づけ、箕(み)が落ちた所は箕形丘(みかたおか)と名づけ、甕(みか)が落
 ちた所を甕丘といい、稲が落ちた所は稲牟礼丘と名づけ、冑(かぶと)が落ちた所は冑丘と名 づけ、沈石(いか
 り)が落ちた所は沈石丘(いかりおか)と名づけ、綱が落ちた所は藤丘と 名づけ、鹿が落ちた所は鹿丘と名づけ、
 犬が落ちた所は犬丘と名づけ、蚕子(ひめこ)が落ちた所は日女道(ひめじ)丘と名づけた。

 その時、大汝の神が妻の弩都比売(のつひめ)に「悪い子から逃れようとしてかえって波風に遇い、ひどく辛く苦
 しい目に遭ったなあ」と言われた。だから名づけて瞋塩(いかしお)といい、告(のり)の斉(わたり)といった。”                                    (橋本 雅之 現代語訳)
                     『風土記 上』 中村啓信 監修・訳注  (角川ソフィア文庫)
    
         
大穴持と火明命が親子!?と大きく疑問が出てきますが
下記の富家伝承の系図で見れば、火明命は、七代目大穴持である天之冬衣神の娘婿であるので義理の親子となるわけ
ですので、全くの間違った話ではないようです。

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丹後風土記(残欠)
“ 志楽(しらく)の郷(もとの字は領知)
 志楽と名づけた訳は、むかし少名彦命と大穴持命が、支配する天下を巡覧するとき、この国をすべて巡り終えた。
 さらに越の国にでかけるときに、天火明命を呼ばれて「あなたは、この丹波の国を治めなさい」と宣言された。
 火明命は大いに喜んで、「末永く青雲の領知(支配)する国」と云った。それで、志楽という。”

“ 二石崎(ふたしさき)
 二石崎につき、古老が伝えていう。むかし、天下を治められる時に、大已貴(おおなむち)命と少名彦がこの地
 に来まして、御二方が相談されました。白と黒の真砂をすくい持ち、天火明命を呼び寄せて詔(みことの)りま
 した。すなわち「これらの石は、私の分霊である。あなたは良く、この土地で祭りなさい」と。
  そうすれば、世界の波が荒れても、丹波国が荒らされることは決してない。天火明命は詔のとおりに、その霊
 石を尊びました。それは左右に黒白に分かれていて、神の気配があった。それは今でも、変わりがない。それで、
 その地を二石崎という。(二石は、不多志と読む)”
                     『出雲と大和のあけぼの』斎木雲州著 巻末付録 (大元出版)     
                       

by yuugurekaka | 2016-02-04 14:24 | スサノオ一族 上陸地

富家の伝承によれば、そもそもスサノオノミコトが存在しないようです。
この大田市の大浦港に上陸するのは、古代中国の秦の始皇帝より派遣された徐福ウィキペディア 徐福
と童男童女たち一行だそうです。じょ・・・じょふく?びっくりぽんです。

「徐福」と言われると、一般的には山陰地方は、伝承地は無いことになってしますし
どうもピンと来ません。紀元前3世紀時代の話のようですが、この「徐福」が和名として、一度目の
来日で「火明(ほあかり)」を名乗り、二度目の来日で「饒速日(にぎはやひ)」を名乗ったようです。

一見突飛な説のように思えますが、物部氏系の伝承とされる
先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)→ウィキペディア 先代旧事本紀 では、「またの名を天火明命
またの名を天照国照彦天火明尊、または饒速日命という。またの名を胆杵磯丹杵穂命(いきいそにきほの
みこと)。」となっています。

古事記では、火明命はニニギノミコトの兄です。火明命=饒速日命とは。
さらに、古事記でスサノオノミコトで述べられていることを加えると、スサノオ=火明命=饒速日命と
いうことになります。

下記は斎木 雲州著『出雲と大和のあけぼの』 144頁、145頁に乗っている出雲王家の系図からの抜粋ですが、
古事記、日本書紀で語られる系図とは違うので、ちょっと混乱します。
古事記、日本書紀では、大国主命一神に収斂されてしまって、なにがなんだかわかりませんが、宗像三女神も
このような婚姻関係で、初代ヤマト王権とつながりがあったとは。


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日本書紀では、五十猛命と大屋姫は兄妹となっていますが、この系図では夫婦となっており、大屋姫は
スサノオノミコトの娘ではなく、アヂスキタカヒコノミコトの娘です。

物部氏の祖が、饒速日であることは、よく知られたことです。
出雲大社のあるところの近くの(奈良時代の)楯縫郡(たてぬいぐん)には、物部氏ゆかりの布都御魂
を祀った神社が三社あります。
そのうちの一社である塩津浦の石上神社ですが、「スサノオ誕生の地」との伝承があるそうです。
スサノオ=饒速日命ということなら、なんら無関係な話ではありません。
そもそもスサノオが持っていた十拳剣(別名 天羽々斬剣)が、天理市の石上神宮に祀られているわけ
ですから。

石上神社  出雲市塩津町279

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by yuugurekaka | 2016-01-30 16:27 | スサノオ一族 上陸地

さて、韓浦(大浦)に上陸したスサノオノ命他三神ですが、なぜ三神なのでしょう。
日本書紀第五が、大きく影響していると思うのです。

“一書(第五にいう。素戔嗚尊が言われるのに、「韓郷には金銀がある。わが子の治める国に、舟がなかっ
 たらよくないだろう」と。そこで髭を抜いて放つと杉の木になった。胸の毛を抜いて放つと桧になった。尻の
 毛は槙の木になった。眉の毛は、樟(くすのき)になった。そして、その用途をきめられて、いわれるのに、
 「杉と樟、この二つの木は舟をつくるのによい。桧は宮をつくる木によい。槙は現世の寝棺を造るのによい。
 そのために沢山の木の種子を皆播こう」と。この素戔嗚尊の子を名づけて五十猛命という。妹の大屋津姫
 命。次に枛津姫命。この三柱の神がよく種子を播いた。紀伊国にお祀りしてある。その後に素戔嗚尊が熊
 成峰においでになって、ついに根の国におはいりにjなった。”
                                 『日本書紀 上』宇治谷 猛  講談社学術文庫
                                

韓浦に上陸してその後どうなったかというと、当地に残る伝承では、三神が「神別れ坂」にて分かれます。

神別れ坂  島根県大田市五十猛町
五十猛命と大屋津姫命、抓津姫命の三神が分かれた場所として石碑が建っています。

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そして、また再会します。

逢浜(おうはま)  島根県大田市五十猛町
五十猛命(イソタケルノミコト)と大屋津姫命(オオヤツヒメノミコト)が逢った浜だと云われています。
大屋町から五十猛町の逢浜に流れている川を逢浜川といいます。


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逢い浜の近くの丘に五十猛神社があります。

五十猛神社 島根県大田市五十猛町湊183


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“社殿によると須佐之男命が五十猛命・大屋津姫命・抓津姫命と朝鮮半島からの帰途、この地に上陸、
五十猛命はここに残って木種を播き殖産につとめ、湊の宮山に祀られという。また須佐之男命は大浦に
留まって韓神新羅神社に祀られ、湊の近くの坂(神別れ坂)で須佐之男命と別れた姫神二柱はそれぞれ
造林や機織りなどの業をひろめ、大屋津姫命は大屋の大屋姫神社に、抓津姫命は川合の物部神社の
境外社漢女(からめ)神社に祀られたという。”                        (白石昭臣)
                                    谷川健一 編『日本と神々』7巻 白水社より

五十猛神社 本殿

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ここらへんの神社の造りですが、本殿が小ぶりな流造りが多いようです。
大社造りばかりの出雲地方と、石見地方ではここが大きく違ってきます。

大屋姫神社  島根県大田市大屋町大屋261番地1

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大屋姫神社 本殿


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大屋町には、鬼村という地域があり、鬼岩や大歳神社などあり、大国主命の伝承もある地域ですが、道に
迷ってしまい、大屋姫神社神社のみの参拝となってしまいました。

漢女神社(からめじんじゃ) 物部神社境外社    島根県大田市川合町川合


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五十猛神社の社殿によれば、大浦の韓神新羅神社に留まり、鎮座したことになっているスサノオの命です
が、大田市大田町神西山の喜多八幡宮の社記によれば

“「太古、須佐之男命の一行は朝鮮半島からの帰途、五十猛海岸に上がり、現在の神別れ坂で他の神々
と別れたあと須佐之男命はさらに東に進んで百済海岸に上陸、そこから大田に到って土地を開き、農業、
殖産につとめた。この命を祀ったのが境内社来成神社である。」”            (白石昭臣)
                                   谷川健一 編『日本と神々』7巻 白水社より   

日本書紀 第四の記載に、高天原からの追放→新羅の国 曽尸茂梨(ソシモリ)に降臨とあるところから、
サノオの命は、朝鮮半島の渡来神であるかのように半ば通説的に語られることが多いですが、伝承を見る
と、「新羅」と思ったら、「百済」であったり、「韓」と表現したと思ったら、「漢」や「唐」であったり、その出自に
しては全く謎の多い神です。


by yuugurekaka | 2016-01-27 08:00 | スサノオ一族 上陸地



国道9号線を車で走っていくと、大田市街から抜けて、日本海が大きく見えてきます。
昔務めていた医療器の営業マン時代、そこら辺りから、海岸線にそって、急激なカーブやアップダウンの道が続いて
いくので、気をしめ直していたよなあと、その頃を思い出します。毎月1回~2回は、この道を通っていました。

この視界に広がる海岸を「五十猛海岸」といいます。
この「五十猛」いそたけ、日本書紀に出てくる「イソタケル」の神の名前です。
そして、ここの町は大田市五十猛町です。つまり、神様の名前がそのまま町の名前になっています。

神様の名前はここだけではなく、五十猛町に隣接して「大屋町」(大屋姫命)、「(旧)大国村」(大国主命)と続き
ます。いつ頃 その名前がついたのか定かではありませんが、少なくとも奈良時代には、「大国郷」が見られるので、
最近のことではないのだ思います。

五十猛海岸


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韓島  島根県大田市仁摩町宅野
宅野は、奈良時代「託濃」と言われ、山陰道の駅があったところで、交通の要所であったのではないのでしょうか?

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宅野港の沖合にある3つの島。中央に見える島が、韓島(からしま)で、左に見える麦島(むぎしま)(無木島)で、写真
には写っていませんが、後ろにある島が、逢島(おおしま)です。


韓島に見える白い鳥居は、韓島神社のものです。この神社にはスサノオノミコトが祀られています。
スサノオノミコトが、新羅(しらぎ)より、五十猛命(いたけるのみこと)や、大屋津姫命(おおやつひめのみこと)、抓津姫命
(つまづひめのみこと)を連れて韓島に寄り、韓島の洞窟で濡れた衣を着替えた後、大浦港(五十猛漁港)に上陸したと伝え
られています。

天の岩舟(磐船)で、天から鳥上山に降ってくると言われるよりも、ずっとリアルな伝承のように思います。

大浦港  島根県大田市五十猛町大浦  
古くは、「韓浦」と呼ばれていたようです。
背後に見られる山は、韓郷山(カラゴヤマ)です。異国の名前を冠した地名が多いようです。
ここの大浦には、国の重要無形民族文化財に指定されているグロがあります。
グロと呼ばれる独特の形の大きな仮屋を浜辺に作り、歳徳神(としとくじん)を迎え、豊漁や無病息災を祈願し、最後に正
月飾りとともに仮屋を焼き払う伝統的な行事です。(詳しくは→ ダイドードリンコ日本の祭り 五十猛のグロ


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この大浦港に鎮座している神社が、「韓神新羅神社」(からかみしらぎじんじゃ)です。
祭神が、武進雄命(スサノオノミコト)、大屋津姫命、抓津姫命です。

韓神新羅神社

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韓神新羅神社拝殿


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“素戔嗚尊、新羅より帰って、大浦の灘にある神島に上陸しませりと伝える”
                      (昭和8年島根県教育会原編 小林俊二 修訂編纂「石見六郡社寺誌」)

神島 
和田珍味本店という水産加工品店に遥拝所が作ってありました。その店に休憩によりましたら、スサノオ一族の伝承地の地
図があり,、そこを基に伝承地を見て回ってみました。


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太古、宅野港や大浦港が、朝鮮半島や大陸との重要な玄関口だったに違いないと思いました。
潮の流れなのか、三瓶山(佐比売山ーさひめやま)が、灯台のような目印になったのか、素人考えですが、そんな気が
しました。


by yuugurekaka | 2016-01-14 08:00 | スサノオ一族 上陸地