出雲風土記(733年)には、記紀にある素戔嗚尊(スサノオノミコト)のヤマタのオロチ

退治が無いと云われます。

それから考えると、ヤマタのオロチ退治は、国が考えた創作だったように思えます。


私は、20代ごろから、この話は高天原を追放された素戔嗚尊が出雲神族を征服した話であ

ると思うようになりました。さらに具体的には、出雲国古志郷を拠点に持つ神門臣を平定し

たのではないかなと想像しています。


しかし、出雲風土記は、地元の伝承を載せるわけですから、そういう出雲を平定するような

話は載せられなかったのかな。


しかし、素戔嗚命ではなく、大国主命の「越の八口平定」の話が、意宇郡の2つの郷名由来

(母里郷、拝志郷)にでてきます。


母理郷は、現在の安来市伯太町の北部を除いた地域です。



母理郷(もりごう)。郡家(ぐうけ)の東南三十九里一百九十歩の所にある。

所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)の大穴持命(おおなむち)が、高志の八口

(こしのやぐち)を平定なさってお帰りになる時、長江山においでになっておっしゃられた

ことには、「わたしが国作りをして治めている国は、皇御孫命(すめみま)が平和に世をお

治めになるようお任せ申し上げる、ただ、八雲立つ出雲国は、わたしが鎮座する国として、

青く木の茂った山を垣の如く取り廻らし、玉の如く愛でに愛で正して守りましょう。」とお

っしゃられた。だから、文理という。〔神亀三年(726)に字を母理と改めた。〕

            

           (島根県古代文化センター編 『解説 出雲風土記』 今井出版)

 

玉神社  島根県安来市伯太町下小竹242番 
大国主命がこの永江山から宝玉を転がして、その玉がとどまった所に鎮座したという伝承の神社であり、その玉は玉神
社のご神体です。

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拝志郷 は、現在の松江市玉湯町林、大谷、宍道町上来待辺りです。


拝志郷(はやしごう)。郡家の正西二十一里二百十歩の所にある。所造天下大神命が、越

の八口を平定しようとお出かけになったときに、ここの林が盛んに茂っていた。そのとき

おっしゃられたことには、「わたしの御心を引き立てるものである。」とおっしゃった。

だから林という。〔神亀三年に字を拝志と改めた。〕この郷には正倉がある。

          

           (島根県古代文化センター編 『解説 出雲風土記』 今井出版)



布宇神社(ふうじんじゃ) 島根県松江市玉湯町林1204 

拝志郷にある大己貴命を祀る社。元宮は、宍道湖湖畔の正倉だったという。

     



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林古墳群の表示  現在の布宇神社境内の西側。
前方後円墳4基、円墳46基、方墳1基

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この「越(高志)の八口」というのは何か?初めは地名だと自分にも思えていたのですが、

実際、新潟県岩船郡関川村八つ口という地名があるわけです、

しかし、よくよく考えてみますと、大国主命は越の奴奈川姫と婚姻関係を結んでおり、

(富家伝承では、大国主命ではなく事代主命が夫)

ことさらに「越の平定」を書く必要もありません。


記紀では八岐大蛇が毎年越の国からやってくることになったり、奴奈川姫の御子の

御名方神(御名方富命)が、最後まで国譲りに反対して、敗北して諏訪まで逃げる

など、越が悪者として描かれているような気がします。


もしかしたら、八岐大蛇とは、越に基盤をもっていた豪族ー蘇我氏(あるいは阿部氏)

をやっつけた話の隠喩なのではないか、そんな考えが浮かんできました。


出雲風土記では八束水臣津野命ー所造天下大神(大国主命)の系に強調されているよ

うな感じをうけます。その意図はなんなのでしょう。


母里郷も拝志郷も東部出雲ですが、前方後円墳や円墳ばかりで、方墳・前方後方墳が

ほとんどありません。東部は方墳・前方後方墳、西部は前方後円墳や円墳というおお

ざっぱな図式があてはまりません。なんででしょう。勉強不足でわかりません。


by yuugurekaka | 2016-05-29 08:00 | 八岐大蛇

自分は、カーナビをつけているわけでもないし
地図を持って 神社めぐりをするわけでもないし 
神社巡りをしている際に道を間違えてしまうことも多々あります。

須佐神社に行くはずだったのですが 道を間違えて
かなり山道を西の方に行ってしまったようです。
「多倍神社」の表示が出ていて間違いに気づきましたが
そういえば、鬼の首を埋めたと云われる伝説の神社だったなと
思い 間違えたついでに行ってみました。

細い山道を車を走らせていて 「本当にこの道でいいのだろうか。」
と思っていると、ありました。
畑の草を焼いている懐かしい煙の香りがします。

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出雲国風土記(733年)に「多倍社」とある神社です。
八岐大蛇を斬った剣の御神霊を祀っているとのことです。
確かスサノオが使った十拳剣そのものは(別名「天羽々斬(あめのはばきり)」は
奈良県天理市の石上神宮に祀られていますが
ここは、剣そのものではなく、剣の神霊です。

多倍神社大社造り 本殿です。 厳密に言うと大社造りの変態だそうです。
階は本殿の中央に設けているところが、正式の大社造りとは違うらしい。

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後ろの大岩が、伝説の首岩らしいです。
スサノオノミコトが、鬼の大将を退治して その首を埋めて
そのフタをこの大岩でしているそうな。
恐ろしい…。

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伝説「首岩」について (神社の説明版より)

“御本社のま後に玉垣をめぐらした二つの大岩をいう。
直径約4m高さ2.5m厚さ1.2mの岩が倒れかかるように重なっている。
「社説」によるとこの神社より北方500mの所に怪岩奇嶂あり「鬼の窟」という。
(自由観光歩道が通ずる)天井岩、千畳岩、腰のし岩、地獄岩等ありて
往古鬼共の住める巣窟であった。

この鬼の大将を多倍神社の祭神須佐之男命が
退治したまい、その首を埋めその蓋になさったという岩がこの首岩であると。
私たちの先住民族の間には、奇岩、怪石又は神秘なことが現れたりする大木
、山岳、瀧等々神が宿るとしてこれを信仰の対象として祀る風習があった。
この首岩も石神信仰の一つとして始めはこの岩が多倍神社の御神体として
崇敬されていたのではなかったかと言われている。”


by yuugurekaka | 2014-10-25 23:50 | 八岐大蛇