クナトの大神・サイの神・サルタヒコの神

富家伝承によれば出雲族が元々奉祭していた神は、大国主命や事代主命ではなく、クナト大神とそ
の姫神幸ノ神と子神のサルタヒコの命の3神であったようです。
クナト大神とは、聞きなれない神の名前ですが、そもそも出雲族の起源は、3千500年以上前に
アーリア人の侵攻によって、日本に民族移動してきたインドの先住民ドラビダ人だそうで、クナト
の大神はクナ地方に支配していたクナト王です。

          (参考 斎木雲州著『出雲と大和のあけぼの』大元出版)

しかし、クナトの神といって聞きなれないのは無学な私のような者だけのようです。

“折口先生の歌、
 村の子は、女夫(めお)の道祖神(くなど)の肩だきています心を、よく知りにけりなどの歌は、
たぶん、酒匂川流域の、小田原在のもののようだ。男女のふるまいについて、十分にわかっていな
いはずの村の子供たちが、不思議な知恵で、なにをしているところかを知っていて、知った上での
笑いと騒ぎをしているのを、民族学者である詩人が見ているところだ。道祖神をくなどという。そ
のくなは、もともと男の性器の名だ。そして、これを動詞にしたくなぐは、行為そのものをいう古
語である。”
                      (池田弥三郎『性の民俗誌』講談社学術文庫) 


平濱八幡宮・武内神社の幸の神   松江市八幡町303


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布志名の才の神さん     
玉造と松江市内との境にあります。

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また、女性史研究家の高群 逸枝(ウィキペディア 高群 逸枝 )によれば、 縄文時代中期以降の婚姻と
して、「クナド方式」なる形態が出現するという。そのクナド方式の説明です。

“これらを考えると、クナドの神なるものは、数ヶ村共有のヒロバや、入会山や、交通の要路(い
わゆるヤチマタや物々交換の市場)や、村の入り口に祭ってある石神であるが、その性格は一面が
交通の神、他面が性の神という複雑さをもっている。
 交通の神が性の神でもあるというのは、族外婚段階のヒロバのクナドを考えればわかろう。クナ
ドは文字通り神前共婚の場所であるが、またそのことによって他群と交通し、結びつくことになる
場所でもある。  
原始時代では、性交は同族化を意味する。排他的な異族の間では性の交歓だけが(ときには性器の
見せ合いだけでも)和平への道であり、理解への道であり、村つくり、国つくりの道でもあった。
大国主命の国つくり神話が、同時に妻問い神話になっているのも、この理由にほかならない。”                                               (『日本婚姻史』至文堂 )


今年の初詣は、出雲族のもともとの信仰とも考えられる、サイノカミの名残ともいうべき宍道町女
夫遺跡、大森神社、才神社に行きました。


女夫遺跡(めおといせき)松江市宍道町白石3313-1

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“県指定史跡 女夫岩遺跡 八束郡宍道町白石
この遺跡は二つの巨石からなり、地元で信仰の対象として「女夫岩さん」とも「宍岩さん」とも呼ばれている。
巨石の大きさは、北側のものが長さ9m、幅2.5m、高さ4m以上、南側のものが長さ6m、幅3m、高さ4.5m
以上を測る。平成6年(1994)に中国横断自動車道の建設予定地となったことから、平成8年(1996)に県教
育委員会と宍道町教育委員会が巨石周辺の調査を実施した。その結果、占墳時代中期から後期5-7世紀頃の祭祀に使
われたと思われる土器片が出土し、巨石信仰が古代にさかのばる可能性か高くなった。巨石周辺の平坦地や石垣がつく
られた時期は不明であるが、遺物の中には近世から近代のものもあり、古代から現代まで祭祀の対象となっていたと考
えられる。また、巨石は天平5年(733)に編纂された出雲国風土記の意宇郡宍道郷についての地名伝承に書かれた
「猪像」(ししのかた)にあたるとする考えがあり、宍道町白石の石宮神社の巨石とともに風土記の伝承と現存する遺
跡との関わりを考えるうえでも貴重な遺跡である。
このような経緯から、平成9年(1997)に遺跡は県指定史跡となり、現状のまま保存されることとなった。 平成9
年3月28日指定 平成12年3月 島根県教育委員会 宍道町教育委員会 ” (説明版より)


JA島根中央家畜市場の前の道から入っていきました。
遺跡は、高速道路のトンネルの上にあります。
高速道路建設の折に、取り壊される危機にあり、住民団体の保存運動の結果、残ることになりま
した。


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家畜市場とは反対側の北西側登り口です。


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少なくとも、古墳時代中期以降には、斎場として存在していたのです。
女夫岩遺跡の南側には弥生時代後期の墳墓と古墳からなる清水谷遺跡や、弥生時代から古墳時代に
かけての集落跡である矢頭遺跡があります。
時代をさらにさかのぼれば、神前共婚のクナドのヒロバだったのかもしれません。


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大森神社 松江市宍道町佐々布738
祭神 大穴牟遅命

社地は昔は宍道川西側の神籬坪というところにあったといいます。
女夫岩遺跡は、今もなお 大森神社で祭祀が行われています。


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佐為神社 松江市宍道町白石1464
祭神 猿田彦命

この神社の参道の一直線上に女夫岩遺跡があります。
もしかしたら、大森神社のムラと佐為神社のムラの結節点として、女夫岩のヒロバがあったのかなと勝手な想像をしました。

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共同体を結ぶ神 クナトの神

通説的には、クナトの神( ウィキペディア 岐の神 )は、「外敵の侵入や悪霊を封ずる、さえぎる」
神と言われていますが、本来は、そういう否定的な神ではなく、異なる共同体と結んでいく、肯定
的なおおらかな神だったのではないかと、私には思えます。

それが国造りの礎にはなったけれども、そういうおおらかな神の子孫の王朝だからゆえ、渡来の神
々の前では、お人好しで 滅んでしまったのではないか。


by yuugurekaka | 2016-01-07 00:41 | 塞の神

鳥取県の妻木晩田(むきばんだ)遺跡へ行った帰り道に
「天の真名井」の道路標示板を見つけました。
何なのだろうと、道路標示に従って行きました。

天の真名井は、名水百選に選ばれている地下より湧き出ている水です。→天の真名井 Wikipedia
「天の真名井散策遊歩道」の小道を登っていくと
水流が激しくなってきました。

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あれれ 水車小屋があります。
これは後代に建てられたもののようです。

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天の真名井に到着しました。
女性の方が1名、2Lのペットボトルに湧き水を入れていました。
以下 そこに書かれている説明板。

“環境省指定「名水百選」
 天 の 真 名 井

この泉は、米子市淀江高井谷泉川にあり、「天の真名井」と呼んでいます。「天の真名井」とは、「古事記」「日本書紀」において、高天原の「神聖な井戸」を意味し、神聖な水につけられる最高位の敬称です。高井谷の氏神である下津守神社の古棟札にも、「天乃真名井乃清久潔畿与(あめのまないのきよくいさぎよき) 元水於降玉布(もとつみずをくだしたまふ)」と古くから記されております。
その湧水量は、一日二千五百トンに及び、夏は冷たく、冬は温かく、実に味わい深い天然水です。
この「天の真名井」泉川下流の宇田川平野には、弥生時代の角田遺跡があり、すでに二千年もの昔から、人々の生活と耕作の水源として大切にされてきたことを物語っております。昭和十九年に完成した「昭和用水」の水源もこの清水です。文字どおり、郷土の文化と産業を興し、歴史を築いてきた清水であり、地元「高井谷集落」では、四季折々に「底ざらえ」をして、水神を祀り、今も古代そのままの神聖な域として。その姿を保っています。  米子市”

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天の真名井のすぐ隣の小池に祠がありました。
秋葉三尺坊大権現さんでした。
神社にも時折 見かけますが 詳しく知りませんでした。→秋葉権現 Wikipedia
秋葉山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神様で
「火難除けの神」として広く知られているそうです。

秋葉三尺坊大権現

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サイノカミさん


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その隣には、樫の木の前にサイノカミさん。

“ 高井谷には、元治元年(一八六四)作の神像と、小型の持ち回り用の神像があります。小型のものは良縁を願って、今期の近づいた跡取りのいる家に持っていき、めでたく婚礼が終わると次の家に持ち運んでいくという風習があります。 米子市教育委員会”(説明版より)

淀江町には80体もの サイノカミさんが存在しているようです。
ここのような石神さんというより
男女を形どった双体道祖神の石神さんが多いとのことです。

島根では、サイノカミさんをあまり見たことがありません。
サイノカミさんの起こりを見ると、
文献では古事記・日本書記の岐の神、猿田彦などの記述がありますが
民俗学者 柳田国男によれば、もとは大和民族に対する先住民の信仰で
神社神道以前の信仰だそうです。→ミシャグジ Wikipedia

このサイノカミさんの学術的な書物は 柳田国男「石神問答」しかないらしく
陰陽石信仰、百太夫信仰、猿田彦、道祖神…と
長い歴史の中で様々なものが習合して今日に至っています。

しかし、淀江町のサイノカミさんは特別な由緒があるようです。
“その昔、サイノカミさんの生活が苦しい様子を見かねた大黒様(オオクニヌシノミコト)は
 お金を貸した。サイノカミさんは12月14日までにお金を返す約束をし、準備をしていたが
 火事にあってしまった。大黒様は気の毒に思い「借金は返さなくても良い、その代わりに
 人間界の仲人を引き受けるように」と言った。こうして、サイノカミさんは縁結びをするようになった。”

(共済公報 とっとり 2014.№621より引用)

それで今でも 12月の第2日曜に
サイノカミさんの日として
しめ縄を新調して わら馬をお供えする自治会があるようです。


by yuugurekaka | 2015-04-02 21:31 | 塞の神