須我神社から約2キロ離れたところに須我神社 奥宮がある八雲山があります。

八雲山入り口

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参道には、「文学碑の径(みち)」として、須我神社や八雲山にちなむ
60基の歌碑、句碑がを囲んでいます。

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この狭い参道を登っていきます。右手には田んぼが見えます。

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少し歩いて行くと「禊ぎ場」が現れました。
山の湧き水が、手水とは、水道水の蛇口より風情を感じますね。
「不老長寿」の「神泉坂根水」の説明書きがあります。

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この木の鳥居もいかにも古い神社と云う感じで、いい雰囲気です。

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「禊ぎ場」から急な坂道を200m登っていくと、大岩が見えて来ました。

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夫婦岩(めおといわ)と呼ばれている磐座(いわくら)です。
大・中・小の三体の磐座で、
それぞれ

須佐之男命(スサノヲノミコト)
櫛名田比売命(クシナダヒメ)、
二神の子である清之湯山主三名狭漏彦八島野命(スガノユヤマヌシミナサロヒコヤマノミコト)


です。この子どもの神が、古事記では、大国主命の系統の祖先として書かれています。
ちなみに、「先代旧事本紀」においては、大国主命と同神とされています。

また、スサノヲノミコトは、稲田姫以外とも結婚しており
カムオイチヒメを妻として大年神(オホトシ)、宇迦之御魂神(ウカノミタマ)が
生まれています。

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参拝するのは 2度目ですが、この大岩には圧倒されます。
磐座(いわくら)祭祀は、古代よりあったということですが
村井康彦著「出雲と大和」によれば、磐座祭祀は出雲系神社に多く
鉄生産の仕事と深い関わりがあったのではないかと、述べられています。
神の依代としての巨石ということだけでなく 
実際の現世利益としての石そのものがありがたい(鉄を生む)とする信仰だったのかもしれません。


by yuugurekaka | 2015-08-14 15:10 | スサノオノミコトと稲田姫

須我神社は 島根県雲南市大東町須賀260にあります。

神社の前にある池の祠があります。
その昔、川中三湯の一つとして、温泉が湧く池だったそうです。
水中に松が自生しているのは珍しく、さらに一つの株から
男松と女松が生えているのは例が無いとのこと。
縁結びのマナがあるのかな、
まずは須我神社の前に参拝しました。

縁結びの夫婦松

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『古事記』によれば、
“須佐之男命は八岐大蛇を退治した後、妻の稲田比売命とともに住む土地を探し、
当地に来て「気分がすがすがしくなった」として「須賀」と命名し、
そこに宮殿を建てて鎮まった。
これが日本初の宮殿ということで「日本初之宮」と呼ばれ、
この時に須佐之男命が詠んだ歌が日本初の和歌ということで、
「和歌発祥の地」とされて”います。(ウィキペデイア 須我神社より)

須我神社 拝殿

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その和歌ですが、石段の右手にその歌の石碑があります。

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

<通釈>雲が何重にも立ちのぼる——雲が湧き出るという名の出雲の国に、八重垣を巡らすように、雲が立ちのぼる。妻を籠らすために、俺は宮殿に何重もの垣を作ったけど、ちょうどその八重垣を巡らしたようになあ。
須佐之男命 千人万首より引用)

この八重垣ですが、弥生集落遺跡の環濠のごとく、環濠と垣根が
宮殿を幾重にも雲海のごとく囲んで 守っていたのではないでしょうか。

たとえば、愛知県の朝日遺跡の環濠ですが、(下記の写真と説明図は朝日遺跡 インターネット博物館より引用。)
土塁、環濠、より内側に幾重にもバリケードが造られています。

私は古代において、
「他の男神の妻問いを絶対に許さない」ということが
宮殿や集落を守ること以上に
重要な意味合いがあったのではないかと、想像します。

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一般的には、神籬や磐座の発展形態が、本殿だと言われていますが
私は、実際神々が住まれていた宮殿だったのではないかと 思っています。

須我神社 本殿

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新婚さんの宮殿だと長らく思っていましたが
改めて 古事記や日本書紀を読んでみますと
稲田姫を守るために八重垣をつくった、稲田姫の宮殿であり
日本書記では、大己貴神をつくると
(古事記では大国主命はスサノオノミコトの6世になっていますが・・・)
スサノオノミコトは根の国に行かれます。
そして、アシナズチ、テナズチの両親神は、宮殿の長官となり
「稲田の宮主スガノヤツミミ」の名をもらうのです。

つまり、稲田姫は親と一緒に暮らし、
スサノオノミコトが通ってくる婚姻の形態 妻問い婚(→ウィキペデイア 妻問婚 )
だったわけです。

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境内の東側に「社日神社」「御祖(みおや)神社」の鳥居があります。
ここから参道が、山に向かって登っていき250mで「社日神社」「御祖(みおや)神社」があります。
また 300m先には義綱神社(祭神は、菅孫三郎義綱か 14世紀の武将) があります。
御祖神社は、稲田比売命の父母にあたる足名椎命(あしなづちのみこと)、
手名椎命(てなづちのみこと)が祀られています。

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参道が整備されていますが、250mとはいえ 少しきついです。
やっと、御祖神社にたどりつきました。
(ここは、須我神社の奥宮ではありません。)

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稲田姫の親神の足名椎命(アシナヅチ)・手名椎命(テナヅチ)ですが
名前だけ聞くと、蛇神のように感じます。
「チ」は、霊力を表す語とされていますが、ミズチ、オロチなど
ヘビや虫類を指す語でもあります。
さらには、“「脚無し蛇」「手無し蛇」という手足を持たない蛇の造形を示した蛇神を
示しているとする説” まであります。(→ウィキペデイア アシナヅチ・テナヅチ

ヤマタノオロチも大蛇ですから(通説は 斐伊川を表していると言われます。)
ヤマタノオロチとの闘いは
「同族婚」と「族外婚」の闘いだったのかもしれません。
婚姻が共同体の存立そのものを揺るがすことだったのでしょうか。


by yuugurekaka | 2015-08-10 22:32 | スサノオノミコトと稲田姫

荒神谷遺跡の前の道路を出雲市駅方面に
向かったところに
道路の隅に 遺跡の表示がありました。


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見渡しても 田んぼばかり。どこかに遺跡があるのでしょうか。
何が書いてあるのかと 読んでみます。

朝妻里と須佐之男命(あさつまのこざと と すさのおのみこと)

八岐大蛇(やまたのおろち)を恐れる稲田姫を稲城にかくまい
出雲大川の天が淵にいた大蛇を退治された須佐之男命は
この里に帰られて稲田姫と結ばれた。
 西方約200米の弥山の麓から、稲城の森の稲田姫へ
妻問いされた須佐之男命が、朝帰りなさる里、ということから
この里名がある。

 出雲国賑給歴名帳(正倉院文書=739年)に出雲郡出雲郷
朝妻里が記されているので、この神話伝承は古くから
あったと思われる。


松江市の八重垣神社の奥の佐久佐女の森に稲田姫(くしなだひめ)を
かくまったという伝説が有名ですが、
ここの稲城の森にも稲田姫をかくまったのです。

ここで少し疑問ですが、200mもの近くから、妻問いとは
あまりに近い。灯台元暗しということで隠れ家として
意表をついたのでしょうか。
すぐ近くに、元々弥山にあった久武神社(主祭神 須佐之男命)
があります。

さて、この稲城の森はどこなんでしょう。森と言うから
山の方かなと思い、車で山の方へ行ったがそれらしいものはありません。
もとにもどって、歩いて、説明版の近くの森に行ってみます。
なにやら、白い板のようなものが見えます。


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ありました。鳥居が。

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鳥居を通ると、大木に寄り添うように祠がありました。


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石が載っています。
柏手を打って拝礼しました。

周りは水田です。
稲田の神様として、今でも 水田を守っている神様のように思えました。


by yuugurekaka | 2014-07-08 07:32 | スサノオノミコトと稲田姫

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あけまして おめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
皆様のご多幸をお祈りいたします。

さて、写真の八重垣神社ですが、年末にお参りしたものです。
帰省中ですので、近くの氏神さんではありません。
20年ぶりに、詳しく観ました。

松江市にある「夫婦和合」の神社であります。
「ご縁」の占い池もあり、女性に人気のスポットです。

観光の名所で有名だから
皆さん知っておられると思いますので、あれこれ書きたいことは
あるけれど書きません。

他の方のブログを見ましたが、書いてないこと書きます。
本殿の向かって左に「山神神社」が合祀されています。
行かれた方はわかると思いますが、
男根碑があり、たくさんの木の男根が奉納してあります。
何か子宝の神様かと、たいがいのかたは思われています。
20年前に、宮司さんにお尋ねしました。

あの山神さんは、元々は八重垣神社とは直接関係ない神様だそうです。
ニニギノミコトの日向・天孫降臨神話が、あります。
ニニギノミコトは、コノハナサクヤヒメに一目ぼれし
妹であるコノハナサクヤヒメと姉のイワナガヒメを嫁にします。
しかしながら、ニニギノミコトは、岩のようにゴツゴツとしたみにくい顔
を嫌って、姉を親元に返してしまいました。

イワナガヒメという姉の神様が、山神様であって、
なぐさめる意味で、奉納しているそうです。
えー、哀しい話ですね。

その奉納されたものですが、古い神社で、たまに見ますが、
国家神道の再編の時、政府に処分させられたと、
他の神社の宮司さんにお聞きしました。

入口の夫婦椿
資生堂のシンボルである花椿は、出雲椿であるようです。

“東京銀座は、徳川幕府が慶長8年から海岸埋め立て造成したまち
である。松江藩が、今の銀座七丁目から八丁目付近を普請けしたことか
ら、その地は出雲町と名付けら、通りは出雲通りと呼ばれていた。
明治5(1915)年その地に花椿を商標とした化粧品会社が創業された。
その椿の商標は、松江の八重垣神社の玉椿をモチーフにしたといわれ、
出雲通りには出雲椿の街路樹があったことから、近年は旧出雲町界隈
の通りが「花椿通り」と呼ばれるようになっていた。”
抜粋~「神々の国の首都」松江における緑豊かな文化的景観の継承 林 秀 樹 より~

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占いで有名な鏡の池
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by yuugurekaka | 2014-01-01 00:01 | スサノオノミコトと稲田姫