出雲市斐川町の田んぼの中の鳥屋神社。
ここにたどりつくまで
かなり日数を要しました。

自分は、カーナビや地図をたよりに
古社を探すわけではありませんので
感だけが、たよりです。

斐川町の田園地帯というのは
築地松という防風林で囲まれた大きな農家が多いので
どこも神社のように見間違えてしまうのです。

それで、さすがに今回は、地図で調べて行きました。
ありました!
向こうに見える川土手は、斐伊川下流で
近くに古事記で有名な多芸志(たぎし)の浜が
あります。

鳥屋神社

この鳥屋神社は、長野県の諏訪大社の祭神
「建御名方命」(たけみなかたのかみ)を祀っています。
建御名方命は、国譲りに反対して、
建御雷神(たけみかずちのかみ)と対決した神です。

古事記では、弱っちくて逃げ回って惨めに命乞いをする神
として描かれていますが
本当は、勇猛果敢で強かったのではないでしょうか。
そして、出雲で戦ったのではなく、越の国の方面で戦ったのではないでしょうか。

なぜならば、沼川姫の子なら、当時は妻問い婚の時代なわけですから
母方の一族の御子となるはずだと思うのです。
でも、ここの神社には、「出雲国国譲り決戦地」と
書かれた表示板が掲げられています。
誤解が生じるといけませんので、
正確に言うと「葦原中津国」を国譲りする
出雲国での 「決戦地」です。

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斐川町が作成した説明文には、下記のことが書かれていました。

鳥屋社と建御名方命
 古事記、国譲りの条に「国譲りに最後まで反抗された、
出雲国唯一剛勇の神 建御名方命は、高天原からの国譲り交渉の使者 建御雷命に対して、
千引きの岩を両手で捧げ“我が国に来てわけも無いのに国を譲れとはけしからん”と、
その岩を投げつけられた。
しかし、建御雷命は巧みにそれを避けて反撃。二神の争いはしばらく続いたが、
建御名方命の力及ばず信濃の国の諏訪まで逃げられ、
ついに降参され国譲りを認められた」とある。
 投げられた千引きの岩は内海に立ち、そこへ多くの鵠(白鳥)が群がった。
里人達はその風景がまさに鳥小屋のように見えたので、
この地が鳥屋という地名になった。
そしてその岩の上に建御名方命ご鎮座の鳥屋社が造営されている。”

拝殿

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神紋は、 丸に立梶(かじ)の葉
諏訪大社と同じ梶の葉でした。


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神社の境内で 聞いたことのない動物の声。
クエーッ クエーッ
なんだろうと思って見たら、白鳥です。
田んぼを見渡したら、白鳥が少なくとも5羽いました。
神代から 何も変わらず 白鳥が この宮を守っているかのようです。

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飛び立つ写真を撮りたかったのですが、
難しい。連写すれば良かったもしれませんが
ワンタッチのデジカメでは、ピントがあいません。
50メートル近寄ろうとすると、すぐ飛び立って居なくなるのです。
出勤時間が近づいたので写真を撮るのは、あきらめました。



by yuugurekaka | 2014-08-16 23:14 | 国譲り

稲佐の浜2
ここは、稲佐の浜です。
写真は、出雲大社に初詣した折、写したものです。
この島は、弁天島。
過去 弁才天を祀っていたものだそうですが
弁才天は、仏法を守る神仏習合の神様だったようで、→ウィキペデア 弁才天
現在は、豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)を祀っています。

豊玉毘古命は、海の神で→ウィキペデア ワタツミ
いわゆる「山幸 海幸」神話の山幸と結婚した トヨタマヒメの親神です。

ここ稲佐の浜に、高天原からの使者 武御雷命(タケミカヅチノミコト)が降り立ち
「葦原の中つ国」の国譲りが、始まったのでした。

人と話していて、よく勘違いが発生していると感ずるのですが、
「葦原の中つ国」の国譲り、つまり、当時の日本全体をヤマト王権に渡せという話なのですが
「出雲の国」の国譲りだと狭く考えられている方が多いと思います。

屏風岩 この岩陰で 国譲りの交渉が行われたと云われています。

屏風岩

国譲りでは、第1段階 天照大神の第二子 天穂日命が派遣されました。
しかし、大国主命に心酔して、
3年経っても 高天原の命令を実行せず 帰ってきませんでした。
ついには、土着化してしまいました。
 
 次に、その子 武三熊之大人(たけみくまのいし)が派遣されますが、
父におもねって帰ってきませんでした。

第3段階に天雅彦(あめわかひこ)を派遣しましたが、
大国主命の娘の下照姫を妻として 
大国主命の後を継ごうとしました。

それで、次は二神 経津主神(フツヌシ)・武甕槌神(タケミカヅチ)
が 派遣されました。
タケミカヅチノカミは、軍神ですので
最終的には、力で 交渉に臨んできたということでしょうか。

それで、大国主命に問います。
「お前は、この国を天神に奉るかどうか」と。

答えて言うには
「あなた方二人の云われることはどうもおかしい。
 私が、元から居るところやってきて、何を偉そうに言うのか。許さん。」

そこで、戻って このことを報告した。
高皇産霊尊(タカムスビノミコト)は、
「今 お前の言うことを聞くと、深く理にかなっておる。
 それでは、条件をそろえてもうしましょう。
 あなたが行われる現世の政治のことは、
 皇孫がしましょう。あなたは幽界の神事をしてください。
 あなたが住む宮居は、今お造りいたしますが
 
 千尋もある栲(たく)の縄でゆわえて、しっかり結び
 造りましょう。その宮を造るきまりは、柱は高く太く
 板は広く厚くいたしましょう。ー中略ー
 また、あなたの祭祀を掌るのは、天穂日命が
 いたします。」

 そこで、大国主命は、その条件を受け入れ
 永久にお隠れになりました。
  ~日本書紀 一書(第二)より~

古事記と日本書紀と書いてあることが
いろいろ違っています。

出雲大社の起源について ヤマト側からの申し出として
書かれているのは、日本書紀 一書第ニです。
古事記では、大国主命からの申し出として書かれています。

稲佐の浜の近くにある因佐神社(いなさのかみやしろ) タケミカヅチノミコトを祀っています。

因佐神社

日本書紀の一書 第一から第八まであります。
出雲大社と、出雲国造の起源は、一書第ニに書いてあります。

あれこれ、読んでいるうちに 更新が遅れました。



by yuugurekaka | 2014-08-11 10:21 | 国譲り

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この巨石は、安来市宇賀荘町にある嵩神社の裏山にあります。
出雲風土記に書かれている「天石楯」(あめのいわたて)ではないか
と言われています。(宇賀荘村誌)

天石楯は、大国主命に国譲りを言いに来た高天原(たかまがはら)の神様
経津主(フツヌシ)(布都努志命)が、高天原から持ってきたとされています。
意宇郡楯縫郷(おうぐんたてぬいのさと)は、
現在の安来市宇賀荘町、清瀬町、清井町、九重町、清水町、早田町辺りだで、
天石楯を縫い直したから、楯縫郷と記されているそうな。
固い石をどうやって 縫うんでしょうか。

嵩神社は、高天原の経津主(フツヌシ)を祀った神社ですが、嵩山という山の上にあります。
この嵩神社を車で探すものの 道路標示では到達できず
宇賀壮町の街中で、どこにあるのか地図を書いてもらいました。

その地図をたよりに、車で行きましたが、迷いながら行きました。
安来市の清水寺方面に車を走らせ、この看板を山の方に入りました。
車だと、身動きとれないんじゃないかと思い、空き地に止めて
歩きました。

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それで、どこかの会社の空き地に到達。これを左に曲がりました。

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これで、左に曲がらないといけませんが、右に曲がってしまって
間違え、草刈っているおじさんに、嵩山の場所を聞きました。

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車でも行けそうですが、狭いので草で車に傷つきます。
途中にまた表示が…。暗くて わかりませんが、右側に嵩神社の名前が!

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さて、右に行きましたが・・・!
み・・・ 道が 草がぼうぼうで 見えないのです。
しばらく人が通った感じがしません。

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それでも5分ぐらい歩くと ついに山の麓に着きました。
ほっとしました。マムシにかまれなくてよかった。さて、登山です。

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10分ぐらい山を登っていくと 鳥居が。おお! 結構早く着きました。

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鳥居で深々とお辞儀をして入ります。
本殿が、輝いています。

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2011年4月に遷宮されて、社殿が美しいです。

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さて、参拝した後は、帰りますが、
急な坂なので、すべったらたいへんなことになります。
こけのところを歩かないように
わざと草が生えているところを歩きました。
暑かったですが、ジャンバー着て良かったです。
半袖のTシャツだと、草で切れたり虫にかまれたりします。
おかげで、0.5キロは痩せたと思います。



by yuugurekaka | 2014-07-13 22:26 | 国譲り