現在は、島根県大田市温泉津町(ゆのつちょう)です。
平安時代中期編纂の「和名類聚抄」(931年 - 938年)によれば邇摩郡の項に「温泉郷(ゆのごう)」という郷名が見え、か
なり前から温泉があったことが類推されます。→ ウィキペディア 温泉津温泉

大田市の発行する観光パンフレットによれば
その温泉の起源は、旅の僧が湯につかって傷を治しているタヌキを見つけたとか、あるいは、大国主命が病気のウサギをお
湯に入れて救ったことから、始まったという伝承があるようで、実に約1300年の歴史を持つ温泉であるそうです。

この温泉街の街並みが、非常にレトロで風情があります。明治から昭和初期に建てられた木造二階建て、三階建ての旅館が
ならんでいて、なんだかタイムスリップした感じがしました。2004年7月に「重要伝統的建造物群保存地区」に指定さ
れてました。今も温泉街として、古風なたたずまいを伝えています。
詳しくは → 石見銀山 世界遺産の温泉 薬師湯 温泉津温泉

龍御前神社 旧本殿から望む温泉津町の街並み

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温泉津町は、温泉街であると同時に、戦国時代~江戸時代 石見銀山の積み出しで栄えた港町でもあります。
温泉津の町を歩いていましたら、夕暮れになってしまいました。

温泉津港

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この温泉津町の温泉街の中に龍御前神社があります。
神社の拝殿には、船主や船頭から航海の安全を祈願した船絵馬が奉納されているそうです。
祭神は、大己貴命、少彦名命、豊玉姫命、健磐龍命。阿蘇津彦命、阿蘇津姫命、彦火火出見命、素盞嗚命の八神。

航海の安全ということで、海神・大綿津見神の娘である豊玉姫命を祀っているのだろうと思います。
豊玉姫命といえば、『日本書紀』では龍ですが、『古事記』では、ワニです。
龍御前ということで、豊玉姫命が祭神の一つと思われます。

この健磐龍命(たけいわたつのみこと)ですが、山陰地方では耳慣れない神様ですが、阿蘇山の神様で、神武天皇の孫
ということです。なぜに阿蘇山の神様がここに
たぶん、旧本殿におおいかぶさるような大きな岩から、その由来が来ているのではないでしょうか。


龍御前神社 鳥居と拝殿 
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本殿の右横に石段があります。
いつものことですが、神社の本殿の裏山によく上ります。よく古墳があったり、荒神があったりするのですが、この神社
は、後ろの山に旧本殿があるのです。


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あれれ、石段が途絶えたと思ったら、まだ 坂道が続いています。
この道でいいのかと不安になってきました。

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道の方向が逆になったと思ったら、急な坂道です。
でも、その先に神社が見えてきました。


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うわー。大きな蛇だー!
口をあけて今にも飛びかかろうとする顔です。他の方のインターネットのサイトでは、龍と書かれていますが、私には蛇に
しか見えません。長い間の風雪で砕けて、龍から蛇になったのでしょうか。
迫力満点です。


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正面から見ますと、蛇には見えません。東側から見た姿が、もっとも良い感じがします。
神社の境内にあった説明版によれば、神社そのものは、天文元年(1532)に創建とありますが、古代はるか昔からこの大き
な岩を守り神として祀られてきたのではないでしょうか。


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by yuugurekaka | 2016-02-13 17:02

昨日 出雲市斐川町の「富(とび)神社」にお参りに行きました。
神社の正面に 出雲地方の神名火山、現在の仏経山が見えます。

仏経山(神名火山)

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富神社 全景

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一見 どこにでもありそうな小さなお社です。
しかしながら、ここの説明版を見ると

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ここは大昔 出雲社(いずものやしろ)と云ったそうです。
つまり、出雲風土記の時代(733年)、出雲の国の 出雲郷の 「出雲の社」と
言うからには、出雲の重要な神社に違いないと思われます。詳しくは由緒書→富神社 由緒

どこが出雲社なのかという論争があるらしいですが、
近くに 郡家跡(昔の役所)の遺跡ー後谷遺跡→出雲郡家 島根県庁があるところを見ると
ここが古代出雲の中心地であり、
自分には、ここが出雲社だったように思えます。

富神社拝殿

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富神社 社紋

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ここの神社の社紋が、出雲系神社の亀甲紋の中に
大根のように見える 丁子(ちょうじ)が、交差したもののようです。
昔は、「銅剣交差紋」だったらしいのですが、それも元の意味合いは
男女の交差紋だったという話だったそうです。

斐川町には、荒神谷遺跡があり そこから出土した
銅剣358本のうち344本のなかご部分に謎の「×」印が
書かれているそうですが→荒神谷博物館
それは、東出雲王家の富家(向家)の神紋を記したという伝承も
あるそうです。

隋神門のしめ縄

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この神社のしめ縄には、海藻がかけてあります。
そういえば 出雲の長浜神社や松江の佐太神社にも 藻がけがありました。
しめ縄の起こりですが、蛇信仰からきていると云われています。

胞衣(よな)荒神

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ここの境内に祀ってある胞衣荒神です。ここの境内には、他にも
惣荒神があります。
わらで作った蛇が奉納してあります。
荒神さんは、現在スサノオノミコトと同神とされているのですが
ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトに
蛇を奉納するというのが 嫌味な感じがして 
私は 昔から しっくりきません。
大昔は、もしかしたら アラハバキ神(荒吐神)→アラハバキ ウィキペデイア
であって すりかわったのではないのでしょうか。あくまで個人の勝手な想像です。

三輪山の蛇というように
古事記の中では、出雲神族は蛇として描かれます。
ヤマト王権にとって、怨念のような たたり神という側面から
蛇なのかと 不勉強で勘違いしていました。

出雲神族そのものが 蛇信仰だったのです。
出雲大社や佐太神社でも毎年 海蛇を奉納します。

龍神祠

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ここの境内にあった龍神祠です。
蛇自体が、水を司る神でもあり、つまりは、農業の神でもあるようです。
ここの説明版では
「龍神祠
 黒龍、白龍と魔除けの霊妙神とし信仰される。
 元来龍神は水を司る神で農業と結びつき漁師にも信仰されている。創立年代不詳。」
と書かれています。



by yuugurekaka | 2015-01-04 23:27

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11月初旬の鳥取県米子市から見る 大山(だいせん)です。
この山は、古くは「火神岳」と呼ばれており、大国主命が宿る「神奈備山」(かんなびやま)として
大神山(おおかみやま)と呼ばれていました。

しかしながら、今 私が読んでいる谷戸貞彦著「幸の神と竜」(大元出版)によると
出雲の祖神 久那斗(クナト)の大神が宿る山だそうです。
クナトの神は、岐の神、道祖神とされています。→岐の神 Wikipedia
また 谷戸氏によれば、イザナギの尊は、クナトの体神と同神とされています。
まあ そうなのかもしれないと私は思いました。
神社の祭神も、時代の変遷とともに すり替わったりするものです。
2000年以上の前の姿が そのまま残っていようはずもないからです。

佐々木高綱の等身地蔵  →佐々木高綱の等身地蔵

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神社にたどり着くまでに、たくさんのお地蔵さんに出会います。
それも、そのはず、大神山神社(奥宮)は、神仏習合で分離したものだからです。
大己貴神(大国主命)の本地仏として地蔵菩薩を祀って
「大山権現」あるいは「大智明権現(だいちみょうごんげん)」と呼んで
その近くに数多くの寺院・仏閣を建てたのが、ここの神社の起こりです。 →ウィキペディア 大神山神社
詳しくは、こちらの方のサイトに神社の由緒書があります。→大神山神社奥宮

参道入り口の鳥居  右手に大山寺があります。

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大山の中腹 8合目まで車で登り、坂道をやっとこさ 歩いて鳥居に来ました。
鳥居の外側には、お地蔵さんや不動明王像など仏教色濃厚です。

自然石で敷き詰められた650mの参道

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また650mの坂道を登っていかないということがわかると
途中 ため息がでてきました。
なお 冬場は、雪が積もり 参拝そのものが 危険だそうです。
それゆえ、ここは夏宮と呼ばれており、大山の麓に本社(冬宮)があります。

石段と拝殿

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やっと たどり着きましたー。

大神山神社(奥宮)拝殿

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かなり大きな権現造です。

市寸嶋神社(弁財天社)

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この市寸嶋神社の祭神であるイチキシマヒメですが、宗像三女神の一神です。
しかし、大国主命の結婚したのは、イチキシマヒメではなく
宗像三女神の多紀理毘売命(タキリヒメ)です。
古事記的には、違いますが、
大黒様と同じく 弁天様は7福神です。

私は、弁天様ということで、別のことを思い出しました。

吉田太陽著 『謎の弁才天女』(徳間書店)によると
出雲神族四八九代の首長(かみ)・富當雄(まさお)氏が、生前
「我々の大祖先はクナトの大首長(おおかみ)<岐神(ふなとのかみ)>だが、
もう一つ隠された女(め)首長にアラハバキ(荒吐神)があった。
体制側によってこれらが抹殺されようとしたとき、
クナトは地蔵に、アラハバキは弁在天へと変身した」
と、語ったと書かれてあるそうです。

帰り際、道に立っているお地蔵さんを遠目に見ると
道祖神のようにも見えました。


by yuugurekaka | 2014-12-31 09:47

「素人には おすすめできない神社」とは、
テレビ朝日 「マツコ&有吉の怒り新党 正月特番 」で放送していましたが
気軽な気持ちで、参拝したら危険なのです。
つまり、登山するつもりで、参拝しなさいということ。

全国から参拝者が増えておりますが
出雲市役所が注意を喚起しています。→韓竈神社へ参拝される皆さまへ

韓竈(からかま)神社は、出雲国風土記(733年)の記載されている古社で
祭神は、スサノオノミコトです。
社名の韓竈(からかま)は、朝鮮から渡来した「釡」を意味するとされています。

スサノオノミコトは、朝鮮から、「植林法」や「鉄器文化」を伝えて
開拓してきた神として伝えられています。
古事記では、高天原からいきなり鳥上の里に 天から降臨する話に
なっていますが、
『日本書紀』(第一書 第四)には 朝鮮経由で鳥上山についたようになっています。

“ 素戔嗚尊の行ないがひどかったので、神々が千座の置戸の罪を科せられて
高天原から追放された。この時、素戔嗚尊は、その子五十猛神をひきいて、
新羅の国のソシモリに降られた。
そこで、「この土地にはいたくない」と、言われ
土で船を造って、
それに乗り、東の方に渡り、出雲の国の上流にある鳥上の山についた。”       

島根県の出雲・石見地方には、この「岩船」伝説があちこちにあります。
ここの韓竈神社にもスサノオノミコトが乗ったという「岩船」があります。
(残念ながら 岩船の巨岩を見逃してしまいました。)

出雲市役所が記載している駐車場に車を止め
仮説のトイレで用をすませ 出発 。
10分歩くと 鳥居が見えてきました!
渓流が美しい。

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鳥居をくぐって 参道。急な石段です。
携帯電話は、「圏外」です。踏み外して落下しても、だれにも助けも呼べません。

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さらに急になり、参道が細くなってきました。
横に張ってあるロープを持たなければ
下まで 真っ逆さまで落ちそうです。

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最後は自然石を削って作った石段です。

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神社のすぐ近くに木の根っこがありました。
スサノオノミコトは、根の国(根之堅州國)の王ということになっています。
黄泉の国=根の国と一般的には言われていますが
あの世=幽玄の王は、大国主命です。

スサノオノミコトは、植林の神(木の神)とも云われており
古事記には、息子神の五十猛神(イタケルノカミ)が、
木の国=紀ノ国に居て
大国主命が異母兄弟神達から、そこへ逃げ込むという話がありますが
案外 根の国とは、木の国のそもそも源という意味でなかったろうか?

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社殿の直前の巨石のすき間です。このすき間がテレビでは、約35センチと言ってました。
ここをくぐり抜けないと社殿には行けません。
ここは女性の産道に見立てられ、子宝に恵まれるという言い伝えがあるそうです。

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なんとかたどり着けました。
しかし、帰る時、岩の間が 坂になっていて すべって怖かったです。

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by yuugurekaka | 2014-12-07 17:07

この神社に来るのは 今年で3回目です。
出雲市内で用事を済ませ、
車を30分以上走らせ、たどり着く。
日が落ちて、カメラには全く映らない状態で参拝。
それを、2度ばかり繰り返しています。

須佐神社は、出雲市内から、かなり山奥の方に向かって
行きます。今は、出雲市佐田町で出雲市ですが、
出雲風土記(733年)の時代は、
飯石郡という山間部の郡のくくりです。

出雲風土記(733年)の須佐郷のくだりで
「神須佐能袁(かんすさのお)命がおっしゃられたことには
『この国は小さい国だが、国として良い所である。だから
私の名前は、木や石につけまい。』とおっしゃられて
ご自分の御魂をここに鎮め置かれた。
そして大須佐田・小須佐田をお定めになった。
だから、須佐という。」(解説 出雲国風土記 島根県古代文化センター【編】より)
と書かれているように、
自分の名前を、木や石ではなく、
ここの郷に名前をつけたという謂れがあります。

スサノオノミコトは、出雲地方を巡行して
最後は、須佐郷に落ち着いたということでしょう。
スサノオノミコトを祀る社の分布は、どちらかというと、山間部です。
あまり平野部には、スサノオノミコトを主祭神とする神社がありません。

須佐神社 鳥居 
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この鳥居の対面に、天照社があります。鳥居の中の同じ境内ではないです。
20代の頃、参拝した時は 出雲VS大和の象徴みたいに勝手に解釈してしまったんですが
たぶん全く違って、 同じ境内に小さな社を建てるのは
つり合い的にどうかというような…これも勝手な解釈に過ぎません。

拝殿・本殿
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18時過ぎです。だいぶん、暗くなりました。
カメラの露出を開いてなんとか写しました。
拝殿が左に廊下のようになって、また一つの棟があり、
それを右に行き本殿に行くという、
くねくねした 拝殿でした。

須佐神社 本殿
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ここの本殿の内部構造も出雲大社と同じで、
神座は、正面を向いていません。→ご案内・須佐神社
古い大社造りは、このようになっており
いわゆる出雲大社の神様が、あえて大和の方角とは逆の西を向いている
という造りをしているという説は違うんだと思います。
須佐神社の神座は、地図から考えると、
南西じゃないでしょうか。
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この本殿の裏に、樹齢約1300年と言われる大杉があります。
近年パワースポットとして全国的に有名になり参拝客が増えたそうです。

須佐神社 塩井
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「須佐之男命自ら潮を汲み此地を清め給うたという。
日本海に続き満潮の時は附近の地面に潮の花をふく。
分析の結果は『芒硝含有食塩泉』で弱アルカリ性である。」
(須佐神社 ホームページより)

出雲大社の前の稲佐の浜とつながっていて
潮の干潮に関係があると説明板に書かれていました。
しかし、こんな山奥で 海水とは?
科学的にはどういうことなんでしょう。
神社のすぐ近くに出雲須佐温泉「ゆかり館」があります。
20年ぐらい前に、そこで鴨うどんを食べたような記憶が…。

そういえば、雲南市の須賀神社のある大東町にも
「海潮温泉」があります。出雲風土記時代からある古い温泉ですが、
もしや、これも海とつながっているのかと思い、
インターネットで検索して調べてみますに
“尾のない子牛を川湯に浸したところ尾がはえてきたことから
「牛尾湯」と呼ばれるようになったと言い、
しかし、そのお湯が塩っぱいことから、「牛尾」が「海潮」に変わっった
という説”が旧家今田家の古文書の古文書にあるそうで
どうも違うようです。

しかし、古代の人は、どのように塩を収集し、摂取していたのだろうか?
それと、清めの塩だけれども、
海水で消毒という知恵から来ているんではないでしょうか。

神社下を流れる素鵝川 
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「すががわ」と読むらしい。ここは、神戸川の上流です。
岩盤が川底に丸出しで 車の上から見ても 美しいです。
本当は、川を眺めながら、ゆっくり、佐田の町を歩いたら
良いのかもしれません。
スサノオノミコトが、自分の名前をつけた町なので
町自体が御神体のような所なんでしょう。


by yuugurekaka | 2014-10-17 15:54

出雲四大神  能義神社

出雲風土記(733年)には
出雲四大神が記載されています。

四大神とは、どの神様でしょうかか?

○ 熊野大神(くまのおおかみ)=スサノオノミコト
 
○ 所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)=大国主命
 
○ 佐太大神(さだのおおかみ)=神様の別名は風土記には記載なし=サルタ
   ヒコノミコトとされる
 
○ 野城大神(のきのおおかみ)=神様の別名は風土記には記載なし=アメホ
   ヒノミコトとされる

そして、733年当時 四大神を祀った社として 
熊野大社、杵築大社、野城社、佐太御子社があり
現在まで続いています。

さて、その四大神の野城大神を祀っている現在の能義神社ですが
安来市内に流れる飯梨川の東岸にあります。
入り口が わかりにくく 何度も道に迷いました。

能義神社近くの橋の上から  飯梨川
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能義神社 入口  「出雲四大神 能義神社」の看板が見えます。
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やはり昔の神社は、石段が急です。

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能義神社 拝殿
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能義神社 本殿
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本殿と拝殿がつながっていません。

能義神社 本殿 左から
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現在の主祭神は天照大神の第二子、天穂日命(アメノホヒノミコト)です。
天穂日命は大国主大神の国譲りの際高天原からの使者として派遣された
出雲国造家(千家家・北島家)の祖神です。

室町時代末期(一五六三年)に天災で焼失しています。
現在の本殿は、慶長十八年(一六一三年)
初代松江藩主、堀尾吉晴公の孫に当たる堀尾忠晴公が再建したもので、
以来十一回の御造営を経たものだそうな。

本殿の裏手には円墳を中心とする能義神社奥の院古墳群が
あるとインターネットで知り 裏をあるいてみましたが
全くわかりませんでした。

神社の周りには、空き家が多かったです。
長い歴史の中で すたれた感じがしました。 

小山の裏(南側)は、田んぼでした。
コハクチョウが、一羽 飛んでいました。
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by yuugurekaka | 2014-09-30 20:17

長浜神社は、国引き神話に出てくる、島根半島を引っ張ってくる際に
三瓶山にくくりつけた綱とされている 「薗の長浜」にある神社です。
神話めぐり 国引き

長浜神社拝殿
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今は、陸地となっていて 綱?と想像ができませんが
733年当時は、周りが「神門水海(かんどのみずうみ)」という海で囲まれていており
出雲大社の方から南西に伸びていく、弓のように長い浜でした。

大社造りの立派な本殿です。

長浜神社 本殿
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この神社の祭神は、八束水臣津野命 【やつかみずおみつののみこと】
国土創世の神話として、出雲風土記冒頭に書かれています。→ウィキペディア 国引き神話
古事記には、淤美豆奴神(おみずのかみ)として、スサノオを出雲王初代として
四代目とかかれており、大国主命の祖父として記述があります。
(古事記では、6代目の大国主命が、初代の娘 スセリ姫を嫁にもらうという
 よくわからない展開となっています。)


日本史リブレット 勝部昭「出雲国風土記と古代遺跡」(山川出版社) より引用
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この国引き神話ですが、出雲の国は狭く、ここの神様が
いろいろなところから 
土地を引っ張ってきて、縫い合わせたのが、島根半島という神話です。

縄文時代は、島根半島は島であり、陸続きではありませんでした。
1万年前から6千年前頃にかけて温暖化し、縄文海進が起き
海水面が上昇し、陸地が狭くなりました。

その後 斐伊川と神門川が運んできた土砂が少しずつ堆積して
出雲平野ができ 陸続きとなったわけです。

国引き神話は、このことを反映したものではないかと言われています。
となれば、八束水臣津野命というのは、弥生時代前期頃なのでしょうか?


ここの八束水臣津野命 ですが、
出雲風土記では、「出雲」という国の命名をした神様
としても書かれています。
“出雲と名づけるわけは、八束水臣津野命 がおっしゃったことには、
 「八雲立つ」とおっしゃった。だから、八雲立つ出雲と言う。”
(島根県古代文化センター[編] 解説 出雲風土記 今井出版 より)
 
しかし、全く意味がわかりません。
そもそも、古事記ではスサノオノ命が、
「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」
と詠ったとされています。

うーん。わからんと思ったら、境内にこのような表示が・・・。

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え、忌が明けると、藻を持ってきて、お祓い、これが厳藻(いずも)かけ
これが「出雲」の言葉の起源?
本当でしょうか?うーん。
なぜそう思うかといいいますと、死という事象が「穢れ」と捉えられたのは
神道では後代になってと、どこかの本で読んだからです。→ウィキペディア 穢れ

それと、私が知らないだけかもしれませんが、
藻をかける所は、神社では、松江市の佐太神社ぐらいしか 見た覚えがありません。

佐太神社  藻汐祓
 
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インターネットで調べて見た所
出雲の言葉の由来には、いろいろな説があるらしいのです。

・柳田國男の弟、松岡静雄氏の説では「美しい藻」という説。

・「五面(イツオモ)」・五つの面から出雲国が出来た説
 国引き神話は、4つの土地を引っ張ってきて縫い合わせた島根半島を作った
 という神話ですが、合わせて五つの地域を縫い合わせて出雲の国を創世したという
 神話から来た説

・「イヅモ」は「夕つ方〔も〕」の説
 白鳥庫吉氏の説。大和中心に考えると 東国は、「あずま」
「アヅマ」とは「朝つ方〔も〕・アサツモ」のこと。
これに対して「イツモ」というは「夕つ方〔も〕」で西の国という意味。

・「イデクモ〔出雲〕」の「デク」が縮まって「イヅモ」なったという説。
 これは本居宣長の説ですが、
 もともと日本には漢字が無くて
 後からの当て字の世界だから、私は何か違うように感じます。
 雲が多いから、出雲
 でも、この説が一番多く思われている説なのかもしれません。

長浜神社の双体道祖神
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さて、ここの境内の後ろの方に祀ってあった双体道祖神です。
出雲地方では、ほとんど見たことがありません。珍しいです。
長野県や、山梨県、鳥取県、関東地方には 
双体道祖神が多数存在しているそうです。

民俗学では、猿田彦神(サルタヒコノカミ)と、
その妻といわれる天宇受売命(アメノウズメノミコト)とされていますが
そうなのでしょうか。

三浦佑之氏訳 「古事記」(文春文庫)126ページの補入された
「大国主命とスセリ姫」とした方が、自分はしっくりします。
妻問婚で 全国展開している大国主命ですから
スセリ姫ではなくて そこの土地の姫神なのかもしれないですが…。



by yuugurekaka | 2014-09-23 12:16

神庭 諏訪神社の本殿です。

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ここの境内にある天神様。
ちょっと見たことのない天神様ですよ。


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とても懐かしい、土で作った人形がたくさんあります。
うちの実家にたくさんありました。
うちの実家では、女の子がいないのに
桃の節句していました。

男の子一人一人に、人形がありました。
父やおじさんや兄たち みんなに確か 大きな天神様の
人形があったと記憶しています。
しかし、おばさんの人形はなかったと思います。

私は人形が買ってもらえず (もう 土人形を売ってなかったのかもしれません。)
代わりに掛け軸を買ってもらって 飾ってもらいました。

そういえば、近所の他所の家では、女の子のいる家では
「普通」のひな壇のある、ひな祭りをしていました。
子どもの頃、うちの家だけ ひな祭りの仕方が違うとは、
なぜか疑問に思いませんでした。


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あれ、「身代わり天神由来」が書いてあります。
「出雲地方では」ということになると
もしかして、あの風習は、ひな祭りではなく、
天神様の祭りみたいな物だったのでしょうか。

出雲地方の人形店のホームページを見たら
江戸時代の土天神は、米子・松江・出雲地方では
3月3日に天神様を男の子の幸せを願って 飾るそうです。

でも、父やおじさんのまで、置いてあったから
大人になったら奉納するという風習は、うちの実家ではなかったように思います。
ああいう祭りも、たぶん、自分が子どもの代で 終わったんだろうと思います。
ああやって 時代と共に、風習が変わっていくんでしょうね。

身代わり天神由来

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“身代わり天神由来

出雲地方では、桃の節句のひな人形や端午の節句の
武者人形を「天神様」と呼び子供の身代わりになって
病気や災難を防ぐという信仰がある。
子どもが成長し古くなった人形を奉納してまつるのが
「身代わり天神」である。

例祭日
四月二十三日”



by yuugurekaka | 2014-09-03 19:42

荒神谷遺跡を観ようと車を走らせようとしていると
諏訪神社が偶然見えて来ました。
何か荒神谷遺跡と関係があるかもしれないと 参拝しました。

この諏訪神社、諏訪神社と云えば 健御名方命(タケミナカタノカミ)ですが、
この神社も、健御名方命を祀っています。
残念ながら、出雲風土記(733年)に載っている古社ではありません。

この近くに、学頭諏訪神社、庄原佐支多神社、神庭諏訪神社、武部字西諏訪神社の
4つの健御名方命を祀る社を、高瀬山城主・米原綱広が
16世紀に造ったのが、その始まりとか。
1500年代ですから、かなり古いではないですか。

出雲地方には、神社に下記のような荒神さんがあります。


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ここの荒神さんは、荒神谷遺跡の近くにある荒神さんと
同じ形式です。大きな石に、大きなわらの蛇が巻き付いています。
グオーっという感じで、迫力があります。


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しかし、説明というか解説を聞いたことありません。
ここの神社には、詳しい説明板があり、ありがたいです。


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“荒神さんには、屋敷荒神、講荒神があります。
屋敷荒神は、かまどの神とか土地の守り神で、
大体宅地内に祀ってあります。

また、同族荒神は、その名の通り、一族一統で祀りますが、
斐川町にはほとんどありません。

地域荒神は、総荒神といって、その土地の人が神木に
幣串や赤飯などの志を供え、藁で作った大きな龍蛇神を巻いて祀るものです。

しかし、神庭の弓原地区や原鹿等に残る総荒神には、
それこそ大きな大蛇が祀られているところから、
収穫感謝の祭りであると同時に、あの「おろち」~つまり川の氾濫に
に代表される大自然の恐ろしさに対する崇拝もあろうと思われます。”
(境内の説明文より)



by yuugurekaka | 2014-09-02 17:26

松江市八雲町東岩坂に星上山(ほしかみやま)があります。
星の神が降り立ったという伝説の山です。
東出雲町の揖屋神社と八雲町の熊野大社
ちょうど真ん中あたりに位置しています。

星上山は、標高454メートルで
展望台があり、松江市の街の夜景が美しく
観れるところです。

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頂上には、「星上山スターパーク」という
オリオンなど星座の名前がついたバンガローや共同炊事棟
やバーベキューができる休憩室がある
満天に光り輝く星が楽しめるキャンプ地です。詳しくは→星上山スターパーク

この星上山には、星上寺というお寺があります。

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展望台とは、逆の方の道を登っていくと すぐ星上寺があります。
曹洞宗のお寺で、十一面観音の伝説のある星の池が
この寺を下った所にあります。

その星の池を探していたら、東の展望台に着きました。
東の展望台から見た風景。中海の方面が見えます。

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星の池は見つかりませんでした。
それで、お寺の方に戻りました。そうすると鳥居が見えました。
那富乃夜(なほのや)神社です。

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那富乃夜神社は、出雲風土記(733年)に載っている古社ですが
現在は、星の神こと 星神加加背男命((ほしのかがせおのみこと)を祀っています。
出雲地方には、星神加加背男命を祀った神社がほとんどありません。
星神加加背男命は、またの名前を天津甕星(あまつみかぼし)と言います。
ウィキペディア天津甕星(あまつみかぼし)

那富乃夜神社 拝殿
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本殿  出雲地方では、大社造の本殿に見慣れているせいか
流れ造が新鮮に見えました。

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星の神は、古事記には出てこない神様ですが、
日本書紀の国譲り神話に出てきます。

“そこで二神(経津主神・武甕槌神)は、もろもろの従わない神たちを
 誅せられ、−あるいはいう。二神は邪神や草木・石に至るまで
 皆平げられた。従わないのは、星の神の香香背男(かかせお)だけとなった。
 そこで、建葉槌神(たけはつちのみこと)を遣わして服させた。” (1)

星の神なのに、国津神のような扱いです。
また、日本書紀一書(第ニ)では、

“ときに二柱の神(経津主神・武甕槌神)がいわれるのに、
「天に悪い神がいます。名を天津甕星(あまつみかぼし)といいます。
 またの名は天香香背男(あまのかかせお)です。
 どうかまずこの神を除いて、それから降って、葦原中国を平らげさせて
 頂きたいと。」このとき甕星を征する斎主(いわい)をする主を斎(いわい)の
 大人(うし)といった。この神はいま東国(あずま)の香取の地においでになる。”(2)

   ※ (1)(2)も 「『日本書紀』  宇治谷 孟 」 より 引用。

と書かれており、こちらは高天原の内紛的な書き方です。
星の神なので、太陽の神のコントロール下に置くこと自体が
そもそも無理だったように思います。


by yuugurekaka | 2014-08-20 20:31