道祖神の原像 (5) お地蔵さま

古い神社へ行ったとき、鳥居の近くにお地蔵さまがあり、なぜ、こんなところにお地蔵さんが?もしや、
サイノカミが担っていた「結界」のお地蔵さんかしら?などと思うのだが、有名な京都の宮津市の籠(
この)神社の奥宮である真名井神社へ行った時にも、参道に地蔵堂があった。これも、結界のお地蔵さ
か?などと勝手に思った

しかし、この地蔵さんの説明板を読むと、全くの見当違いということがわかる。真名井社の参道の
蔵さまは、「波せき地蔵」と言って、大宝の大地震(約1300年前)に大津波が起きて、ここで波が切り
返したというお地蔵さんだったのだ。 (→ ウィキペディア 波せき地蔵堂 

標高40メートルの地らしいが、もともとは大木に寄りかかるように置かれていて、1996年神社が地
堂を建てたようだ。
なんで、お地蔵さまなのだろう。地震や津波で亡くなった人たちの供養で建てられたのだろうが、あの
世とこの世の境界の石仏としての役割もお地蔵さんにはあるようだ。

波せき地蔵堂  京都府宮津市大垣 

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ウィキペディアで、お地蔵さま、つまり、地蔵菩薩を調べると、このように書いてある。

〝地蔵菩薩(地蔵菩薩)は、仏教の信仰対象である菩薩の一尊。サンスクリット語ではクシティガルバ
(क्षितिघर्भ [Kṣitigarbha])
と言う。
クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味で、意訳して
「地蔵」としている。また持地、妙憧、無辺心とも訳される。三昧耶形は如意宝珠と幢幡(竿の先に吹き
流しを付けた荘厳具)、錫杖。種字は ह (カ、ha)。大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人
々を、その無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられたとされる。日本における民間信仰では
道祖神としての性格を持つと共に、「子供の守り神」として信じられており、よく子供が喜ぶ菓子が供え
られている。一般的に、親しみを込めて「お地蔵さん」、「お地蔵様」と呼ばれる。
サイノカミが、たいへん習合度の高い神様で、「境界の神」「悪霊や疫病などを防ぐ神」「縁結びの神」
「子供の神」という多様な役割を持つように、お地蔵さんも「子供の守り神」以外にも多様な役割をもつ
ものと思われる。

西出雲のカンナビ山、仏経山の麓にたくさん見られるお地蔵さまの一つだが、番号が彫ってあり、なん
番号なのか、わからなかったが、「出雲三十三番観音霊場」への道標としての「丁地蔵」であることが
わかった。一丁ごと(約109メートル)に、建てられているから、多いはずだ。
現存する地蔵さまは、18世紀半ば~19世紀の半ばに製作されたもののようだ。


丁地蔵  曽枳能夜(そきのや)神社 島根県出雲市斐川町神氷823番地 
三十四丁と書かれている。

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出雲札所(観音霊場)の起源だが、約一千年前、花山法王(花山天皇)が、出雲の地に観音霊場を開き、
順拝されたのが始まりと伝えられている。
しかし、観音さまなのに、なぜ道標が、地蔵さまなのだろう。
他県の三十三番観音霊場をインターネットで見ると、丁石が観音像の場合も多いからだ。
地蔵さまが「道の仏さま」だからなのかしら。


賽の河原 加賀(かか)の古潜戸 
島根県松江市島根町加賀

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猿田彦大神とされる佐太大神が誕生したとされる加賀の潜戸の「新潜戸」に隣接している、賽の河原の
「旧潜戸」である。中世の仏教歌謡「西院河原地蔵和讃」と思われるが、幼くして父母より先立った子
どもらがあの世で父母を思って積み石をしている、そこに鬼が来て、その積み石を壊す。そこへ地蔵さ
まが現れて子どもを救うという「賽の河原」である。

「賽の河原」というけれど、山にある場合が多い。加賀の潜戸の場合は、海岸の洞窟である。
洞窟は、黄泉国への入り口という信仰がある。
黄泉津平坂(よもつひらさか)で、イザナミから逃げるイザナギが投げた杖から岐神(クナド)の神が
生まれたという話があるが、あの世とこの世の境界神のサイノカミ(クナドの神も総じてサイノカミと
も呼ばれる)が、地蔵さまに転化したのかなあと思わされる。

『石の宗教』(五来 重 著 講談社学術文庫)という本がある。なぜ地蔵さまにサイノカミが習合す
るに至ったか、様々な理由が書かれていた。私はたいへん納得できた。

〝このような霊魂の往来を塞るための積石の代わりに、石棒を立てることもあって、石棒が男根形(コ
ケシ形)の石棒となり、これが道祖神の起源であることはすでに述べた。男根形の道祖神は明治維新の
「淫祠邪教の禁」で大部分撤去されたので、男神女神抱擁像の道祖神や文字碑だけが残ったに過ぎない。
ところが男根形の道祖神は、顔や袈裟衣を彫刻すれば、そのまま石地蔵になってしまう。石地蔵という
ものは、けっして図像や仏画や木彫の地蔵菩薩を石像化したものではなく、もともと石の宗教性から地
蔵が造形されたものであることを、私は主張するのである。〟
                          
〝そこで原始的な石の造形が、男根、女根であったことは、これが祖先のシンボルだったためである。
それを近代になるにつれて、祖先であることをわすれて、性的な興味をもつようになったので、恥ずか
しいという羞恥心をおこしたり、道徳的価値判断から「淫祠邪教」といったのである。明治維新の宗教
政策の一つに「淫祠邪教の禁」があって、撤去処分された石棒は莫大だったという。いま各地の考古資
料館などで、石棒や石杵として陳列されている完形品には、そのときの撤去物が多いと言われる。
                         (五来 重 著『石の宗教』講談社学術文庫)


by yuugurekaka | 2017-09-22 21:52 | 塞の神