『稲羽の素菟』(10)白兎神社 ① 亀井茲矩

白兎神社 大鳥居   鳥取県鳥取市白兎603番地
この大鳥居は、昭和42年に建てられました。

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さて、白兎神社に来るのは何年ぶりでしょう。
過去記事 ⇒ 縁結びの神様 因幡の白兎 

■ 因幡鹿野藩初代藩主  亀井茲矩(かめい これのり)

角川日本地名辞典(昭和57年12月8日)によれば、
〝「因幡志」に「土人口碑に中比の乱世にや神光衰へ神祠も跡形なく、里諺も絶失ぬ事年久し」
 と、中世以降は社殿もないほどに衰微した。慶長年中にいたって気多郡鹿野城主亀井蔵守茲
 矩が夢に白兎の示現を見たのがきっかけとなり社殿を再興、社領も寄進した。〟とあります。

さて、白兎神社を再興させた亀井氏ですが、後に島根県の津和野藩主となる亀井氏です。 
 ⇒ ウィキペディア 亀井氏 
ウィキぺディアを見ると、〝亀井氏は紀伊国亀井を発祥とし、宇多源氏の佐々木氏の流れを汲む
されるが、信憑性に乏しく、穂積姓藤白鈴木氏流の亀井重清の流れとする説もある。〟と系譜は
のようですが、確実なことは、亀井茲矩の義理の父親である亀井秀綱は尼子経久側近として仕えた
事だそうです。

亀井茲矩自身は、尼子氏の家臣・湯永綱の長男として出雲国八束郡湯之荘(現在の島根県松江市玉
湯町)に生まれ、山中幸盛(通称は鹿介)と出会い、毛利氏に敗れた尼子氏再興を目指す闘いに
加します。17歳の時には、現八頭郡八頭町市場の私部城(きさいちじょう)を任されます。
大菟明神を奉祭していた、あの八頭町です。

そして茲矩は、山中鹿介の養女(亀井秀綱の次女)をめとり、亀井姓を継ぎます。
詳しくは ⇒ ウィキペディア 亀井茲矩
尼子氏忠臣で有名な山中鹿介ですが、島根県民にとっては、日本酒の宣伝で「月山」(がっさん)
真っ先にに浮かびます。「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話が、有名
です

尼子氏の居城富田城があった安来市広瀬町の「月山」ですが、元々は「勝日山」と呼ばれていま
た。月が登る山は、当然ながら、太陽も登ります。
元々は太陽信仰であったものが、月信仰に代わったのではないかと思います。

この尼子氏(あまごし)ですが、宇多源氏佐々木氏の流れを汲む京極氏の分家です。近江国甲良荘
尼子郷(滋賀県甲良町)に居住したのが、由来とか。
尼子氏が、月読命を奉祭していたのかどうかは、調べて見ましたが、よくわかりません。
     
大国主命と白兎の石像 
西方には道の駅が、あり、東方に石像がある。

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今は、恋人たちの聖地のように演出されています。このようにきれいに整備されないと、観光客は
まらないもののようです。
行った日は日曜日でしたが、若い男女のペアで賑わっていました。

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by yuugurekaka | 2017-05-17 14:46 | 因幡の素兎