『稲羽の素菟』(9) 高草郡 老兎

■ 伏野

白兎海岸にある有名な白兎神社の東に行った小山に、「伏野神社(ふしのじんじゃ)」があります。
この「伏野」という地名は、古くは鎌倉時代には既に書物で見られるらしい。
「伏野」をグーグルで検索すると、下記のグーグル地図が出てきます。

現在の伏野 グーグル地図

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白兎神社の近くの神社で、前から気になっておりまして、この度参拝しました。
西からの(たぶん)参道は、木製の鳥居でした。

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伏野神社    鳥取県鳥取県鳥取市伏野2255番

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祭神 須佐之男命、猿田彦神
 由緒 起源沿革詳かならず、神代の昔に於て白兔神伏し給ひし野なるを以て、大字名を伏野と称し
    次いで社名となす、正徳四年本殿屋根の葺替をなす、明治四十年四月二十七日神饌幣帛料供
    進神社に指定せらる。〟      (『鳥取県神社誌』 昭和10年 鳥取県神職会 編 )


「白兔神伏し給ひし野なる」が、「伏野」の起源と書いてあります。

現在の祭神は、須佐之男命、猿田彦神で
、宇佐族ではないですが、
おそらくこの伏野にも、
菟佐族
が住んでいたに違い
ありません。

伏野神社  本殿と境内社

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■ 高草郡の老兎

ここの伏野という集落は、古代「高草郡」の中だったようです。高草郡とは⇒ ウィキペディア 高草郡
因幡国造の本拠地は、ウィキペディアによると、高草郡、八上郡と書かれています。

因幡国造は、『国造本紀』では、彦坐王の子、つまり和邇氏系と思われますが、宇部神社祠官伊福
部氏の系の方が、栄えているように見えます。しかし、高草郡の式内社や八上郡の中心地が土師郷
であったことを合わせて考えると、土師氏の一族がかなり力を持っていたように思えます。

さて、この高草郡ですが、因幡国風土記 逸文だとされる話が、『塵袋』(ちりぶくろ)という鎌
倉時代中期の書物にっています。

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※竹林の写真は、高草郡の中ではなく、八頭町の船岡竹林公園のものです。

〝白兎

  因幡の記を見ると、この国に高草の郡がある。その名の由来に二つの解釈がある。その一つは、
 野の中の草が高く生えているので、高草の野という。その野を郡の名とした、というものである。
 もう一つは、竹草の郡とする説である。ここには昔竹林があった。それで竹草というのである。竹
 は草が長いという意味で竹草というのであろうか。その竹の事を説明すると、昔この竹の中に老い
 た兎が住んでいた。ある時、急に洪水が起こって、その竹原が水没した。浪にあらわれて竹の根も
 掘られ、皆崩れて抜けてしまったので、兎は竹の根に乗って流れてしまったところ、おきの島につ
 いた。水嵩(みずかさ)が減って後に、本の所に帰ろうと思うけれども、海を渡る方法がなかった。
 その時、海
の中にワニという魚がいた。この兎がワニに言うことには、「お前の仲間はどれぐらい
 多いのか」。
ワニが言うことには、「我々の仲間はとても多くて海に満ちている」という。
後略
 …
    (『塵袋』第十  現代語訳 中村啓信監修・訳注『風土記 下』  角川ソフィア文庫)
  
後略のところは、古事記の『稲羽の素兎』とほとんど同じです。
菟佐族は、八上郡だけでなく、高草郡にも分布していたのかもしれません。


by yuugurekaka | 2017-05-15 07:00 | 因幡の素兎