『稲羽の素菟』(7)土師郷 ① 中心地

中山の南麓を訪ねました。
霊石山を含めて 「中山」と云うらしい。「此山国の中央にありて最も勝れたるの地」(最勝寺
縁起 写本)ということで、因幡国の中央だということからのようですが、伯耆の素兎伝承の神
社も中山神社で、「中山」という名そのものが、宇佐族に何か関係があるのかしらと、思ったり
します。そういえば、岡山県美作にも「中山神社」があることが思い起こされます。

さて、その中山の展望台から、現・八頭町(やずちょう)の街を眺めてみました。

展望台 周辺案内図

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字が小さくて読めないと思いますが、白兎伝説のゆかりの地が表示されています。


展望台から見える街並み



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中山の南側の平野を国中平野といいます。現在は、中山の側の麓というよりは、平野部の八頭町役
場付近が中心なのかもしれませんが、奈良時代は、万代寺遺跡(郡家跡と推定される)や、土師百
井廃寺跡が、中山の麓にあることを考えると、中山の麓が中心地であったように思います。

現在の街の姿をもって、古代の都市を想像するのは、大概間違った先入観をもたらします。たとえ
ば、松江市ですが、今まで出雲国の政治の中心地がどこだったかを考えると、奈良時代は、大庭町
・大草町付近だったのに、中世においては、安来市富田城などということを、現在の街の姿から、
だれがすぐ想像できるのでしょうか。

現在の私都川(きさいちがわ)や八東川(はっとうがわ)の川筋も、古代は当然違ったはずで、そ
れゆえ発展している場所は違ったのでしょう。


土師百井廃寺跡 鳥取県八頭郡八頭町土師百井

7世紀中頃から8世紀初めの白鳳時代に建てられた慈住寺跡と推定される遺跡です。
中門、金堂(東西18m、南北18m)、講堂(東西30m、南北19m)、回廊(幅5.4mの基壇)、塔、南門等で
構成されている法起寺式の大伽藍だったようです。

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さて、古代の中心地であったであろう八上郡・土師郷ですが、角川地名辞典で調べると、〝近世の
土師郷(はじのごう) 寛文年間 稲村・門尾(上門尾)・福本・池田・土師百井5ヶ村 「稲葉
民談記」、「因幡志」と「因伯郷村帳」はこれに下門尾を加えた6ヶ村〟と書かれております。
古代も概ねここら辺だったのでしょう。

古墳が多い地域なので、土師部の人達が多く住んでいたのでしょうが、近くに大江郷も見られるこ
とを考えると、八上郡自体が、野見宿禰の後裔の豪族が力をもっていた地域だったのかもしれませ
ん。

国土地理院地図 中山の麓

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by yuugurekaka | 2017-05-05 10:38 | 因幡の素兎