『稲羽の素菟』(6)霊石山の西麓 佐井郷 ③ 荒神宮

続いて樋口神社から南方の曳田郷の近くの神社を歩いてみました。渡一木神社の
鳥居から、霊石山
が見えます。

渡一木神社(わたりひとつぎじんじゃ) 鳥取県鳥取市河原町渡一木31

〝祭神 素盞鳴尊
 由緒 創立沿革詳かならず、往古より荒神宮と称す。明治元年八月渡一木神社と改称し郷社久多美
    神社の摂社なり。〟        (『鳥取県神社誌』 昭和10年 鳥取県神職会 編 )

※下線、赤字は私。



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元々は、「荒神宮」だったと云います。山陰では、荒神=須佐之男命とされるのが多いから、祭神
須佐之男命
となる例が多いと思います。また、記紀では、
須佐之男命
が出雲の祖神と描かれてい
すの
で、荒
神は、いわゆる祖霊信仰の古い形態だったのかもしれません。

一氏族の奉祭する荒神信仰が、集落として発展して、地主神、産土神、村の氏神さまとなっていっ
ったのではないか。
また、斎の木に藁蛇を巻き付けるという形が、祠、神社いうように発展した、ある一つのパタ
―ン
だったのではないか。古代豪族の首長の館が、神社になったというパターンもあったと思われます
が、荒神祭祀という所から、神社に到る回路もあったのだろうと思います。

袋河原神社 鳥取県鳥取市河原町袋河原207

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祭神  帯中津日子命、品田和気命、息長帯比売命、素盞鳴命、罔象女命
 由緒 創立年代明かならず、古くより素盞鳴命(一に大国主命と称す) を祀りて氏神となし荒神宮
 称せしが、當村の対岸に片山村あり、曾つて洪水の際河身東に移動したるより片山村民の当地に
 移住せる者夥しく終に其の片山時代に氏神なりし片山字宮原鎮座八幡宮を村の氏神として崇敬し
 古来より当村鎮座荒神宮を摂社となせり、因幡誌に「氏神分八幡宮在片山村」と記せり之なり、
 文化四年十二月十五日終に八幡宮を勧請して荒神宮と相殿に奉祀し世々産土神八幡宮と称せり、明
 治元年十月二十九日村字下平鎮座岩瀧神社祭神 罔象女命を合祀す、此の時荒神宮は再び社殿を
 新築して境内に別に奉祀せり、次いで袋河原神社と改称し明治五年三月村社に列格せらる、降りて
 明治四十三年十一月二十三日再び境内鎮座荒神宮を合祀す。 
                     (『鳥取県神社誌』 昭和10年 鳥取県神職会 編 )

次に
樋口神社
の北方の袋河原の神社に行きました。角川地名辞典では、佐井郷ではない気がします
けれど…。

ここの神社も、元は荒神宮だったようです。
千代川が東から西に移動したので、集落も移動したようです。それに伴って、
片山神社の氏神の八
幡様が移ったように由緒に書かれています。渡一木神社と違うのは、同じ荒神宮ですが、
須佐之
だけではなく、「一に大国主命と称す」と荒神=大国主命とも書かれているところです。

袋河原神社に移ってきたという片山の神社に行ってみました。現在は、「大山津見神」が祭神のよ
うですが、明治10年の「鳥取県神社誌」当時は、八幡様を祀っていたけれど、どういう経緯があっ
て、祭神が変わったのかわかりません。

片山神社 鳥取県鳥取市河原町片山729

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祭神 帯中彦命、誉田別命、気長足姫命
 由緒 古老の口碑に建保年中同村鎮座國英神社の御分霊並みに帯中彦命を勧請奉祀し八幡宮と称せ
 しが明治元年八月片山神社と改称し同五年三月國英神社の摂社となす。
                     (『鳥取県神社誌』昭和10年 鳥取県神職会 編 )

「建保」といったら、鎌倉時代の1213年から1219年頃のことです。
しかし、その前は、どのような祭神を祭っていたのでしょう。ここも、もしや荒神宮であったの
はないかしら。「大山津見神」は、山の神です。日本書紀に登場する山の神は、概ね蛇です。

“駿河国風土記には、荒神こうじんは他の大社の末社ですなわち、その神の荒魂あらたま(註:神の荒々しい側面、

 荒ぶる神)であるとの説が記録されておりますが、末社ではない独立した荒神が極めて多い以上

 は、成立しない説であり、社寺の境内に荒神を祀るのは、地主神の思想に基づくものであるのは、

 疑いが無いと思います。雲陽誌(註:享保二年=1717年に松江藩士、黒澤くろさわ長尚ながひさが編纂した島

 根の地誌)や東作志とうさくし(註:正木輝雄が編纂した美作国=今の岡山県、東部の地誌)を見れば荒神

 は、正しくは山野の神であり、その数の多い事はなお東国の山神と同じでございます。特に注意

 すべきは出雲の美作に限った事ではなく、多くの荒神にはまったく社殿が無い事です。〟

                           (柳田国男 著『石神問答』)


『荒神は、正しくは山野の神』、そこを考えると、太古、霊石山の「山の神」を各集落で荒神様と

して祭ったのではなかろうか…という思いが浮かんできます。

塞ノ神=幸ノ神⇒荒神という転訛か、あるいは、吉野裕子説である「顕(あら)波波木神」⇒荒波

波木⇒荒神という転訛か、いろいろな説が考えられますが、ともかく、自分には神社祭祀以前の信

仰のような気がします。


※ここでは、竈の神や三法荒神の話ではなくて、地荒神の話です。



by yuugurekaka | 2017-04-29 22:09 | 因幡の素兎