『稲羽の素兎』(5)霊石山の西麓 佐井郷 ② 河原城下

江戸時代の文献でもって、弥生時代・古墳時代のことを推し測るということは、当然無理がありま
すが、現代の神社の祭神でもってそれを推し測るのはもっと無理があると思うのですが、とりあえ
ずは祭神を調べてあれこれ頭をめぐらすのです。

菟神を奉祭する氏族分布も当然時代によって違ったものであろうし、神社の栄枯盛衰というものが
時の権力によって左右されたのではないかと思います。
霊石山の西の麓の神社を歩いてみました。


まずは、河原城に上がってみました。
足を運べば、新しい気づきがあるものです。
ここにも、八上姫たちの新しい像がつくられていました。

河原城にあった因幡の素兎・八上姫と大国主命の像


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河原城から見える霊石山

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霊石山も見る場所から形が変わって見えます。吉野裕子氏によれば、カンナビ山は蛇がとぐろをま
いたような円錐形であるという。

まずは、河原城山の麓の樋口神社に行ってみました。

ここの祭神は、市杵島姫命です。宇佐氏伝承の本を読んだところ、「母祖 市杵島姫命」と書かれ
ていました。もしや、宇佐族?と思いましたが、樋口神社の由緒を見ると違うようです。
後代に習合した水の神様「弁天様」から来ているように思えます。

樋口神社 鳥取県鳥取市河原町河原2番



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祭神 市杵島姫命、保食神 
由緒 天正の頃亀井鹿野城主当町より旧高草郡中一円の潅漑用大水路を掘鑿せしが、次いで明暦年間
其の取入れ口なる大樋の傍に水路守護の神として市杵島姫命を奉祀す、現社地是なり、世々弁財天社
と称す、降りて明治元年八月境内鎮座稲荷大明神(祭神 保食神) を合祀し、樋口神社と改称す、然
して郷社久多美神社の摂社となす。
                      『鳥取県神社誌』(昭和10年 鳥取県神職会 編)

樋口とは、
「樋」(とい)の入口という意味。 ここの神社の裏手の西側は、「
大井手用水」という
因幡鹿野藩初代藩主 亀井が1602年(慶長7年)から、7年の歳月をかけ開削したもので、
農業用水等として地域に欠かせない用水路となっており、疎水100選にも選ばれています。
→ 疏水百選 千代川から大井手用水に取り入れ水路がここに造られていました。

なおこの亀井公(亀井 茲矩)は、高草(鳥取県鳥取市白兎海岸)の白兎神社を再興したお殿様です。

樋口神社の位置  グーグルの地図

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この樋口神社の前には、六地蔵さんが祀られていました。六地蔵は、ウィキぺディアによれば、
〝これは、仏教の六道輪廻の思想(全ての生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)に基
づき、六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたものである。〟
また〝他界への旅立ちの場である葬儀場や墓場に、多く建てられた。また道祖神信仰と結びつき、町
外れや辻に「町の結界の守護神」として建てられることも多い。これを本尊とする祭りとして地蔵盆
がある。〟 

サイノカミが、習合したものなのか、あるいは、水害によって供養された場所なのか、わかりません
が、案外神社よりも「起源」が古いのかもしれません。

樋口神社前のお地蔵さん

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by yuugurekaka | 2017-04-26 20:33 | 因幡の素兎