『稲羽の素兎』(4)霊石山の西麓 佐井郷 ① サイノカミ

八上郡12郷の中に『佐井郷』があります。名前からして、「サイの神」を奉祭した氏族から由
する郷名でないかと想像できます。出雲族は、サイの神 三神(クナドの大神・幸姫神・猿田彦命)
を奉祭していたそうなので、ここに大国主命の後裔の出雲族が住んでいたのかもしれません。

どこが、その『佐井郷』の比定地なのか、調べてみましたら、
霊石山の西の麓、河原城の前の千代川流域の周辺ではないかとされているようです。
ここは八上姫の郷ー曳田郷の北隣に位置しています。

霊石山中腹の御子岩の方から河原城を眺める

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以下『角川日本地名大辞典31巻 鳥取』からの引用です。

〝「稲葉民談記」の中世の郷保庄の記載順、「因幡志」のこの記述から推定すると、佐井の位置は
河原町渡一木【わたりひとつぎ】から河原町河原付近一帯となる。古代の佐井郷も千代【せんだい】
川左岸域の河原町河原付近一帯であったのであろう。「稲葉民談記」は「河の中に小き島あり。之を
サ井と名く。此所昔の村の跡なるや、此所何如なる大水にも流されすして、久しく残りしかは,犀は
水中に棲みて水の害を受けす。此所実に犀のすみかなる故に、かくの如く云ふならむとて土人相伝へ
しか」と地名の由来を記している。しかし,このあたりに犀が生息していたとは考えられないので
一考を要する。佐井の「井」の文字から考えると水に関係する地名に由来しているのかもしれない。
式内社久多美神社が河原町谷一木【たにひとつぎ】に祀られている。〟
                         『角川日本地名大辞典31巻 鳥取』

※ 犀は、動物のサイ。
※ 『因幡民談記』(いなばみんだんき)は、江戸時代初期の1688年成立の地誌。
  鳥取藩の侍医の小泉友賢(1622―1691)の著作  

ただ文禄2年(1593年)の洪水前は、千代川の川筋は、もっと西の山際の方だったようです。
(参考→ 古事記の倭ごころ )だから、大水に流れ去れない小さき島という由来が、そうだったのか
疑わしい気がします。

江戸時代初期には、既に「サイの神」(一般的には賽の神と書かれる。道祖神と習合したとされる。
→ ウィキペディア 道祖神 )は、忘れられた神だったのかもしれません。
このサイの神は、「佐斐」(境港市)、「狭井」「斎」「妻」「幸」「西」とも書かれたようで、
全国に地名として残っています。大和の三輪山にも大物主命の荒魂を祀った狹井神社があります。

狹井神社(狹井坐大神荒魂神社) 奈良県桜井市大字三輪狭井

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改めて、八上郡の地名を見ると、「西御門」という地名があることにも、気になります。この「御
」、という地名も出雲地方や石見地方の、大国主命に由来する場所の地名にあり、もしや、大国
命の御殿があったところではないか…などと妄想が浮かびます。

ところで、この『佐井郷』がどこまでの範囲かはわかりませんが、おおむね霊石山の西麓だとは思
いますが、北の方に「袋河原」「布袋」という集落があります。
この「袋」というのは、大国主命が、背負っていた袋を置いたことに由来すると云われています。

国土地理院地図 霊石山の西麓

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河原城から見える河原、袋河原の集落

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千代川の川岸の道路を歩いて霊石山が眺めてみました。歩いていて思いましたが、奈良の三輪山の
西の麓を歩いたときを思い出しました。この山も、カンナビ山で東から山から登る太陽神を奉祭し
ていたのではないかと。
今では、太陽神=皇祖神・天照大御神というように体系化されて、国津神VS天津神の象徴のように
思われていますが、出雲族はもともと、太陽神を奉祭していたそうです。

上袋河原のバス停留所から見える霊石山

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山の中腹に御子岩が肉眼でも見えます。
実際に近くまで行きました。下記は御子岩の説明。

天照大神が行臨の時、道案内の神として猿田彦命が先導し、この岩に「冠」を置かれたので御
 岩とも云った。猿田彦命は、道祖神であり、この岩はその御神体として道行く人の目標であった。
 古歌に
「因幡なる神の御子岩しるしあらば、過ぎ行く秋の道しるべせよ」とある。

                                    河原町観光協会〟  
御子岩 

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なぜ猿田彦命のことを「御子神」と云うのか、だれの「御子」なのか、長い間わかりませんでした
が、父 クナドの神、母 幸ノ神の御子ということで「御子神」と云うらしいです。

この霊石山の頂上近くに、天照大神がこの山に降りてきたということで「伊勢が平」といわれる場
所があり、皇居石、夫婦石と呼ばれる石があるそうです。私は、頂上付近を歩き回ったが、その場
所がわかりませんでした。

この霊石山の西南の麓には、猿田彦命が天照大神(大日霊女尊)を先導したとする、『最勝寺縁起』
の存する最勝寺があります。
ちなみに古事記、日本書紀では、猿田彦命が瓊瓊杵尊を先導する話がありますが、天照大神を伊勢
地に導したのも、猿田彦命の末裔の宇治土公(うじつちぎみ)の遠祖・大田命とも云われてい
ます。

最勝寺 鳥取県鳥取市河原町片山29

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by yuugurekaka | 2017-04-21 22:10 | 因幡の素兎