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下照姫 終焉の地  倭文神社(1)


鳥取県の東部にある東郷池である。(→ウィキペディア 東郷池)あいにくの雨で美しい池が、青色一色になってしまった。
この池は、池の中心から温泉が湧くという全国的にも珍しい池で、西側に「はわい温泉」、南側に「東郷温泉」という有名な
温泉がある。(詳しくは→はわい温泉 東郷温泉旅館組合

この池は、太古日本海とつながっていた入り江であって天神川から流れてくる花崗岩の砂が堆積して入り江をふさいでしまっ
ったできた潟湖であるらしい。
池の東北のあたりで、宮戸弁天という磐座が、見えた。下照姫が魚釣りを楽しんだという伝承地のようだ。

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この池の東北側に、伯耆国一之宮 倭文(しとり)神社がある。詳しくは→ウィキペディア 倭文神社(湯梨浜町)
倭文氏の祖神 建葉槌命(たけはづちのみこと)を祀っている。 
建葉槌命は、天羽槌雄神(あめのはづちのおのかみ)とも云い、機織りの祖神とされており、倭文(しどり)氏の祖神で
ある。

倭文(しとり)神社 鳥居

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建葉槌命は、日本書紀では、葦原中津国平定に従わない星神・香香背男(かかせお)を服させる神として登場してくる神
だ。

その神とともに、大国主命の息女、下照姫が祀られている。
出雲より着船し(羽合町宇野と柏村宇谷の中間の仮屋崎に着き化粧直しに使った水が伝えられているようだ。)倭文神社
の社地に住居を定め、亡くなるまで安産の指導や農業開発、医薬の普及にも尽くされたという。

倭文神社 拝殿

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倭文神社 本殿
     昭和53年に本殿裏にあった神木であったタブノキは、腐朽のため倒壊した。昔は、直径2.2メートル、枝張りは南北10
     メートル、東西8.8メートル、樹齢は六〇〇年と推定された古木だった。
     タブノキ特有の乳房状の突起物があったことから、「乳神さん」と呼ばれ親しまれていた。その倒壊した木から新しい木
     が生えていた。


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当地で織物が作られなくなったことにより建葉槌命の存在が忘れられ、下照姫命だけが主祭神であるかのように思われた
ようである。その昔、常に難産で苦しむ婦人が願をかけていると、下照姫が夢に現れ、参詣の帰途、ここの安産岩で簡単
に出産し、それ以来「安産岩」と呼ばれるようになったという言い伝えがある。
こういう伝承から、安産祈願の霊験ある神社としてにぎわっているようだ。

安産岩



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しかし、下照姫の生んだ御子の話は、記紀にはない。
アメノワカヒコとの間で子供はなんというのだろう。もしや、実際は倭文氏が、その末裔ではなかったろうか?

社殿の南南東180メートルいったところに下照姫の墓ではないかと長い間云われていたところがあった。しかし、大正4
年(1915年)の発掘により、経塚(きょうづか)遺跡であるということが判明した。→ウィキペディア 経塚
平安時代初期の銅経筒を始め仏像、銅鏡、るり玉などが発掘されており、全て国宝に指定されている。

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神社に仏像というと、現代は違和感を感じるが、神仏分離の時代の方が歴史としては短いのだ。


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しかるに、なぜここが下照姫の終焉の地なのだろう。
斎木雲州著『出雲と大和のあけぼの』(大元出版)によれば、下照姫は大国主命と多紀理毘売命の娘ではなくて、因幡の
白兎の八上姫との娘である。妻問婚の時代(→ウィキペディア 妻問婚)一般的にこどもは母方の一族で育てられるゆえ
母方の一族が住む因幡の国のすぐ隣のここが、富家伝承の方が理にはかなっておるように思う。
しかし、「木俣神」として、斐川町の御井神社に取り残され、大国主命の一族に育てられたのかもわからないが・・・。

ちなみに富家伝承では、阿陀加夜奴志多岐喜比賣命は下照姫ではなく、多岐津姫であり、出雲風土記における阿陀加夜奴
志多吉比賣命は所造天下大神(大国主命)の「御子」とは間違いで「御妃」であるようだ。





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by yuugurekaka | 2016-02-20 23:18 | 下照姫 | Trackback | Comments(0)