2015年 09月 04日
出雲郡 宇賀郷(3) ~ 「猪目洞窟」 ~
出雲風土記(733年)によれば『黄泉の坂・黄泉の穴』があります。
北海の浜に磯がある。名は脳磯(なづきのいそ)。
高さ一丈ばかり。上に生えた松が生い茂り、磯まで届いている。
邑人が朝夕に往来しているかのように、
また木の枝は人が引き寄せたかのようである。
磯から西の方に窟戸(いわやど)がある。
高さ・広さはそれぞれ六尺ばかりである。
窟の中に穴がある。人は入ることができない。
奥行きの深さは不明である。
夢でこの磯の窟のあたりに行くと、必ず死ぬ。
だから、土地の人は古より今にいたるまで、黄泉の坂・黄泉の穴と名づけている。
『解説 出雲風土記 』島根県古代文化センター編より
ここの「黄泉の坂・黄泉の穴」と比定されているのが
猪目町の猪目洞窟です。
しかし、最近は、郷土史家の研究で、この猪の目洞窟ではなく、
鷺浦(さぎうら)と鵜峠(うど)の境界にある洞窟ではないかと言われています。
猪目洞窟の反対側にも洞窟があるようですね。
猪目洞窟の近くには、海水浴場があります。
美しい風景です。
小さなお子さん連れの家族が、海水浴を楽しんでいました。
昔初めて、ここへ来るのが怖かったです。
“夢でこの磯の窟のあたりに行くと、必ず死ぬ。”
などと書かれているからです。
でも、そこで住んでおられる人たちがおられるので
そこへ行ったからといって何か起きるわけがありません。
いよいよ猪目洞窟にたどり着きました。
黄泉の国の入り口になぜ漁船が?と思われる方もおられるかもしれませんが
ここの洞窟は、1948年(昭和23年)10月、漁船の船置き場として拡張工事をした時に、
堆積土を取り除いたときに発見された洞窟です。
この洞窟は「海蝕洞」で、洞口は東に向き、幅36メートル、
高さ中央部にて約12メートルで、奥に進むにしたがって
狭くなっているそうです。
縄文時代から古墳時代にかけての埋葬や生活を物語る遺物が
数多く発見されており、土器類、貝釧(かいくしろ)、木製品などのほか、
人骨十数体分も発掘されたそうです。 出典→猪目洞窟遺物包含層 コトバンク
洞窟とは、暗くどこにつながっているかわからない、
つまり、黄泉の世界への入り口という発想をしまいがちですが、
大国主命と少彦名命が、仮住まいしていたという伝承の「静之窟(しずのいわや)」も→Wikipedia 静之窟
海蝕洞で、長さが約45mもあります。
長い海蝕洞が一概に 黄泉の世界につながる穴というわけではないのでしょう。
横穴ではなくて、下に降りていく穴の方が、下に落ちて行く恐怖感を抱かせますし、黄泉の穴だったのではないでしょうか。