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出雲の命名 四代目 出雲の王

長浜神社は、国引き神話に出てくる、島根半島を引っ張ってくる際に
三瓶山にくくりつけた綱とされている 「薗の長浜」にある神社です。
神話めぐり 国引き

長浜神社拝殿
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今は、陸地となっていて 綱?と想像ができませんが
733年当時は、周りが「神門水海(かんどのみずうみ)」という海で囲まれていており
出雲大社の方から南西に伸びていく、弓のように長い浜でした。

大社造りの立派な本殿です。

長浜神社 本殿
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この神社の祭神は、八束水臣津野命 【やつかみずおみつののみこと】
国土創世の神話として、出雲風土記冒頭に書かれています。→ウィキペディア 国引き神話
古事記には、淤美豆奴神(おみずのかみ)として、スサノオを出雲王初代として
四代目とかかれており、大国主命の祖父として記述があります。
(古事記では、6代目の大国主命が、初代の娘 スセリ姫を嫁にもらうという
 よくわからない展開となっています。)


日本史リブレット 勝部昭「出雲国風土記と古代遺跡」(山川出版社) より引用
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この国引き神話ですが、出雲の国は狭く、ここの神様が
いろいろなところから 
土地を引っ張ってきて、縫い合わせたのが、島根半島という神話です。

縄文時代は、島根半島は島であり、陸続きではありませんでした。
1万年前から6千年前頃にかけて温暖化し、縄文海進が起き
海水面が上昇し、陸地が狭くなりました。

その後 斐伊川と神門川が運んできた土砂が少しずつ堆積して
出雲平野ができ 陸続きとなったわけです。

国引き神話は、このことを反映したものではないかと言われています。
となれば、八束水臣津野命というのは、弥生時代前期頃なのでしょうか?


ここの八束水臣津野命 ですが、
出雲風土記では、「出雲」という国の命名をした神様
としても書かれています。
“出雲と名づけるわけは、八束水臣津野命 がおっしゃったことには、
 「八雲立つ」とおっしゃった。だから、八雲立つ出雲と言う。”
(島根県古代文化センター[編] 解説 出雲風土記 今井出版 より)
 
しかし、全く意味がわかりません。
そもそも、古事記ではスサノオノ命が、
「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」
と詠ったとされています。

うーん。わからんと思ったら、境内にこのような表示が・・・。

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え、忌が明けると、藻を持ってきて、お祓い、これが厳藻(いずも)かけ
これが「出雲」の言葉の起源?
本当でしょうか?うーん。
なぜそう思うかといいいますと、死という事象が「穢れ」と捉えられたのは
神道では後代になってと、どこかの本で読んだからです。→ウィキペディア 穢れ

それと、私が知らないだけかもしれませんが、
藻をかける所は、神社では、松江市の佐太神社ぐらいしか 見た覚えがありません。

佐太神社  藻汐祓
 
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インターネットで調べて見た所
出雲の言葉の由来には、いろいろな説があるらしいのです。

・柳田國男の弟、松岡静雄氏の説では「美しい藻」という説。

・「五面(イツオモ)」・五つの面から出雲国が出来た説
 国引き神話は、4つの土地を引っ張ってきて縫い合わせた島根半島を作った
 という神話ですが、合わせて五つの地域を縫い合わせて出雲の国を創世したという
 神話から来た説

・「イヅモ」は「夕つ方〔も〕」の説
 白鳥庫吉氏の説。大和中心に考えると 東国は、「あずま」
「アヅマ」とは「朝つ方〔も〕・アサツモ」のこと。
これに対して「イツモ」というは「夕つ方〔も〕」で西の国という意味。

・「イデクモ〔出雲〕」の「デク」が縮まって「イヅモ」なったという説。
 これは本居宣長の説ですが、
 もともと日本には漢字が無くて
 後からの当て字の世界だから、私は何か違うように感じます。
 雲が多いから、出雲
 でも、この説が一番多く思われている説なのかもしれません。

長浜神社の双体道祖神
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さて、ここの境内の後ろの方に祀ってあった双体道祖神です。
出雲地方では、ほとんど見たことがありません。珍しいです。
長野県や、山梨県、鳥取県、関東地方には 
双体道祖神が多数存在しているそうです。

民俗学では、猿田彦神(サルタヒコノカミ)と、
その妻といわれる天宇受売命(アメノウズメノミコト)とされていますが
そうなのでしょうか。

三浦佑之氏訳 「古事記」(文春文庫)126ページの補入された
「大国主命とスセリ姫」とした方が、自分はしっくりします。
妻問婚で 全国展開している大国主命ですから
スセリ姫ではなくて そこの土地の姫神なのかもしれないですが…。



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by yuugurekaka | 2014-09-23 12:16 | Trackback | Comments(0)